あきおちゃんのお話ver3
◯今日は今から15人でのご法事。
屏風も入れて、道場もいい雰囲気になりました(^^)
◯学習会が。。
毎月、第4月曜日19時から仏教学習会をしていて、
そこに来ておられた四日市の住職さんとご門徒さん2人が、
四日市のお寺で、学習会をやってほしいということで、
昨日行ってきました。
教行信証の行文類の解説。。
行く前に住職さんが「難しい話でいいです。。」といわれていたので、
行文類の講義資料を持って行ったけれど、
到着すると、50人ぐらいはおられて、結構なお年寄りも多かった。。
わたしは「行文類だと難しいでしょ」といったら、
「大丈夫です。いつも通りに講義してください。」ってことだったので、
「大行論や真如論」などを講じたけれど、皆さん真剣に聞いておられ、
誰も寝たり、めんどくさそうな人はいなかった。。
すごいなぁ。。
やはり住職さんや役員さんの問題意識が高いとこんなにも違うのかと
思いました。
わたしも問題意識が高いと思うけど、本寺では「難しい話はイラン🇮🇷(≧∀≦)」
と言われて、意識のある方と別院で学習会を続けていますが。。
四日市の住職さんとご門徒さんは「的確な話をしてもらって、
疑問やぼやけていたことが明確になりました」ということで、
2か月に1回づつ「講義」することになり、その50人ぐらいの方々と
予定を合わせて、10月にまた行うことになりました。。
よければご一緒にいかがですか?
◯仏になりたいですか?
仏って「無常無我」を体得することですから、
わたしがあるけどないっていう状態になることで、
「空(くう)」という状態になること。。
わかりにくいでしょ。。
「あなたはどなたですか」って聞かれて、
「わたしは南无阿弥陀仏です」っていう。
あるいは「わたしはわたしではないわたしです」っていう。。
そんな「へん」な状態を生きることで。。
いわば、気体が雨になって水になり、冷凍して固体になっているけど、
いつかまた液体になって気体になる。
その自然のプロセスの中の、とりあえず固体状態です。
そんな風に徹して思えるようになるプロセスを生きること。
その辺のスタートを切ることが、仏教の救いですって。。
文章で読んでもよーわからんでしょ。。
イヤイヤ書き手が悪いからやねん。
そうなのかも。。
◯救いようがない救い
仏教の救いって、わたしがどうなることか?
宗派によってその表現が違うからややこしいんですが、
仏祖の御加護によって「ご利益がある」。。
とにかく「平安で不動な気持ちになれる」。。
「浄らかな気持ちになれる」。。
まぁいろいろいわれますが。。
「死んでから極楽浄土に行ける」なんていうのもありますが、
最近30代の女性が「そんな死んでからまでいつまでも生きていたくない」
「そんなことを求めるお年寄りって生命力がスゴイですね」って言っていました。
まぁわたしも同感かも。。
親鸞聖人は救いをそんなふうに、「死んでからの救い」を説いてはいませんけど。。
じゃあどうなるのか。
「救いようがない救い」を説かれています。
詳しくは当方へ💁♂️お越しください。。
マジ文面にするとややこしいぐらい、おもしろい(interesting)ですから。。
次回から小出しにしようかなぁ(≧∀≦)
イヤイヤ。。
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