大江淳誠和上の大行論
やはり親鸞聖人は信心の人というより、念仏の行者でしょう。
それは行文類引文に第17願の「諸仏称名讃嘆」の引文を徹底して引かれ、続いて「信力増上、聞名」の引文を引かれ、最終的にそれが「衆生の称名讃嘆(教えをひろめる広讃嘆)」へと展開される流れになっています。
そして浄土論、論註の五念門で行を抑え、
法蔵菩薩の行じられたのが五念門であるとされ(註釈版行文類【17】)そのうちの讃嘆門が利他の功徳をもつ「如実修行相応の行」であり、われわれの讃嘆行の内容であるとされています。(同【19】)
読み手を想定しない「親鸞聖人のホンネ」が書かれていると思われる教行信証を教行証文類とされているのは、信は17願の諸仏称名が衆生の称名讃嘆に転じるという、ターニングポイントをあらわしていて、それで終わりではない。
讃嘆行が念仏の行者としての生活となるのだから、行とは無碍光如来のみ名を称する讃嘆行とされているのです。
これは石泉学派の大江淳誠和上の講義にあるものです。