【ただ念仏申せない現代】

【ただ念仏申す?】

 

これは脳科学による説でありますが、赤ちゃんは0歳から1歳過ぎるまでの間に周囲に起こる環境の中で必要なものと必要でないものを区別し必要でないと思われるものを、1歳を過ぎた頃から脳のデータから削除していくと言われています。

 

ですから0歳から1歳の間に親やお年寄りがお念仏をありがたいと感じ、お仏壇に参ったりお経をあげたりしていれば、赤ちゃんはそういった行為を重要とみなします。

そのため、これを重要とみなした赤ちゃんは、大人になってもそのことを重要なこととして「念仏の意味」を分かっていてもわかっていなくても、仏壇にありがたく手を合わせるようになると言われています。

 

そういった点において、現代においては、日常生活の中に仏壇に手を合わせると言うことが文化的になくなって、赤ちゃんが法事等の場においても、そこに参加しないと言うことが多いので、その赤ちゃんが大人になっても手を合わせない人になるといえます。

 

ですから、私などのような、一般家庭から仏教に入ったものが、習慣的に意味もわからず仏壇に手を合わせると言うことを必然的なことであると思わないため、学習を通して仏教が優れた教えであると理解した上で、仏前に参ると言うことになります。

 

こういった脳科学の前提によって、0歳から1歳までに吸収したデータを1歳を過ぎてから必要のないデータと考えられるものを赤ちゃんが削除していくことから、現代の文化的にそもそも仏壇に参ると言う習慣のない家庭であったり、仏壇に参ることに重要視をしていない家庭においては、その赤ちゃんは1歳を過ぎてから、仏壇に参ると言うことを削除していくと言うことになります。

 

そういう点において、〇〇様がおっしゃる「ありがたく理由もなく念仏を申す」と言う人がどんどん減っていると言うのは、その個人の資質と言うこと以上に、現代の文化的環境によると言うふうに考えることが自然であろうかと思われます。