教行証文類についてお尋ねに‼️

◯教行証文類について、以下のポイントをまず抑えておきたいと思います。

1、 親鸞聖人のパーソナリティを考える。

その幼児期の体験が、戦いの中、家族が離散していること。

比叡山での交友関係が見られないこと。

法然聖人と40歳の歳の差があり、法然聖人の父性と母性に救われたと思われること。

法然門下で他の弟子とのやりとりが明確ではないこと。

越後流罪後「恵信尼」と結婚したとはいえ、越後での交友関係が明確ではないこと。

越後での三好為成などとの関係が良好かどうか不明であること。

佛光寺派の解釈では、関東に行く前に一度帰洛している。

親鸞聖人の亡くなった場所がお東と異なるなどの真宗十派により理解に差があること。

関東において、二十四輩などの弟子が寺院を作っても、そこに安住しなかったこと。

安住できるはずなのに60歳を過ぎて、恵信尼と別居前提で京都に帰り、弟子をとらなかったこと。

善鸞を義絶したこと。(義絶についてて本人の意思確認をしていないと思われる)

京都ではほとんど人と関わらず、ひたすら著述に没頭したこと。

歎異抄を信用材料とするなら、「十余ヶ国を超えてきたひとに、難しいことを知りたいなら奈良か比叡山に行け」というクールドライな対応をしていること。

大正期に「親鸞聖人架空説」があったほど、実在性に乏しいこと。

スキャンダルのようなことも特にないこと。

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以上の親鸞聖人のパーソナリティを見ると、現代的には、人間関係が苦手なアスペルガーであると診断されるのではないかと思えます。

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親鸞聖人のパーソナリティと性格から教行証文類の著述内容を検討する。

 

2、 親鸞聖人は、論理的な性格だと考えられるため、「阿弥陀仏」「浄土」という存在と念仏

で往生するということに論理的な疑問を持っていたのではないかと考えられること。

 

3、 そこで「読み手を想定しない」教行証文類には、引文はすべて親鸞聖人の言いたいこと

(論だて)であって、自由に読み変えているほど、「発揮」が多いこと。

 

たとえば「至心回向」を「至心に回向して」を「至心に回向したまへり」と「至心を回向する」から「至心が回向されている」という主語を「わたし」から「如来」に180度換えるような読み換えをしている。

こういったことから、法然聖人の教えを超えることになろうとも、自らの納得を優先していること。

いずれにせよ、どう読むほうが「論が立つか」という観点で引文を読まれていて、その解釈が「正しいかどうか」という読み方よりも「より論理性が高いかどうか」という読み方をしていると思われるということ。

親鸞聖人の「三部経千部読誦」にあるように、越後以後においても「他力念仏」について、法然聖人の教えられたことが腹に落ちていると思われないこと。

 

4、そもそも、法然聖人が「観経」によっているのに、「無量寿経」に置き換えたこと。

この点は教行証文類において、重要で、教行証文類全体で信文類以外において、なかなか南無阿弥陀仏の六字を出さないように記述されています。

 

「無量寿経」には「阿弥陀仏」の文言は一切ありません。

ですから教行証文類を冒頭から読んでも、その流れのまま、行文類に入っていますから、「無碍光如来のみ名を称する」を南无阿弥陀仏そのものとも、称名念仏とも定義できないのです。

あくまでも「無量寿仏」の名字でしかありません。

 

そしてそのまま、第十七願引文に入りますから、ここの「十方諸仏の咨嗟称我名」は、どの諸仏と定義されていないため、既成概念を抜けば、「教文類」の釈迦の讃嘆が十方諸仏の讃嘆の代表とされていて、それは後に出てくる五念門の讃嘆門(いわゆる広讃嘆)だと定義していると読めること。

 

この後に、「称名破満」が出て、ここに「南無阿弥陀仏」が出てきますが、この前の引文に「我が名を聞かんもの〜命を捨てての後云々」の「命を捨てて」が「穢土の仮名を捨てて」と読むと、初期仏教の十二縁起に符合します。

 

それは、十二縁起において「存在」を「色」として、それを「名」は定義づけるという論について、「無我」に至る法として、「名字」の転換を説く第十七願において、自らの「穢土の仮名」を「浄土の仮名」に転じて生きることを示唆されているようです。

 

名字を称えることは、「穢土の仮名を捨てる」ことを意味していて、「穢土の仮名」が「無明」に始まり「名色」を経て「生老死」に至るポイントと見られているとも考えられます。

そういう意味において、「我が名字を称すること」が「穢土の仮名を捨てる」と解釈できます。

ここにおいて「無我」が実現すると読み込めます。

 

これは現代の「神経言語プログラミング(NLP)」という心理学にも符号します。

 

また、行文類後半における六字釈に置いても「南無」の二文字に「帰命、発願回向、即是其行」として、阿弥陀仏の四文字を解釈せずに、そのあといくつかの引文の後に「阿弥陀仏の四字は万徳を彰す」としていること。

 

また、行文類の引文に戻りますが、親鸞聖人は引文に二十四願経を引用していますが、「蜎飛蠕動」という昆虫までの成仏が説かれていますから、第十八願の十方衆生は「念仏するしないに関わらず」「信心の有無に関わらず」すべてが仏性であるという前提が述べられていると読めます。

 

これは「唯信抄文意」などに「草木国土悉皆成仏」とある記述と一致します。

また、「自然法爾」「色も形もなく言葉も絶えた」真理という内容はいわゆる本覚思想であり、

親鸞聖人は、真言宗や天台の法華経などの「本覚思想」を取り入れて、こういった論を立てていると思われること。(摂取不捨の真言)

またこのことに関して「華厳経」を重視して「法界縁起説」を根拠にしていることが華厳経の引文が各所にあることから推察できること。

 

このことから親鸞聖人にとっては「イチ()」は「一切」に対応する文言であり、「ニなど」に対応しているのではないと考える方が仏教として相応すると考えられます。

 

 

4、 ここまでをまとめますと、親鸞聖人の教行証文類における内容は、人間関係を苦手と

する親鸞聖人が唯一の父性と母性を持った40歳の年齢差がある法然聖人の人徳によって法然門下に入った。

しかしそこには多くの先輩等もおられ、綽空としての選択集の写本はあれども、その存在感は見られない。

そういう親鸞聖人に、架空説が出るほど存在感がないのは、そのパーソナリティによると思われる。

そして、察するに親鸞聖人は、「法然教学の論理性を追求して」独自の論を展開しているが、それは引文さえも自らの文言として読み替えているため、引文の本来の読み方や意味はかえって考察せずに、そのまま読む方が良いと思われる。

そこで親鸞聖人は、本覚思想から初期仏教の所説をキッカケにして論を立てていると推察できる。

以下「往相還相因果同時」について参考にホームページから転載します。

 

 

 

ここまでに、「行文類」には158ページの2行目に「前念も後念も因となる」とあり、

159ページの後ろから5行目に、往相と還相を出して、往相の中に「おのが功徳をもって、

一切衆生に回施して云々」とあるように、「往相に還相の活動が含んで」説かれています。

 

つまり、正定聚を現生にもってくる以上、往生は現生にスタートして、

一生補処して滅度に至るという第十一願とあわせても、

 

往相還相は同時に行われなければ、

論が通らない。

 

同時であれば論が通って、

しかも、

現生に意味を持つ教えになります。

 

つまり、因である五念門の讃嘆門が果である大会衆門に符号して、同じく回向発願門が薗林遊戯地門に符合する構造になっています。

この符号が「現生」でなければ、大会衆門の意味が意味をなさない。

ならば、薗林遊戯地門も現生であると理解しなければ一貫性を失います。

この辺りは、論註に書かれている現生と来世の解釈は異なっていますが、こういう論調が親鸞聖人の独自性です。

 

同様なことは、現生に正定聚とされているものが、弥勒と同じ等覚であるというように変化しているのは、

51位から10ランク上がっているわけですが、このような飛躍も親鸞聖人の論調に見られる部分です。

 

「往相還相因果同時」について。

 

これにつき、質問を受けることがあるので、根拠を示します。

証文類の313ページの【14】に還相の回向というは、

 

「利他教化地の益なり」とあり、結果、五果門の第五果門の定義をするために、

あえて設けられた「二相」であると、推論できます。

 

この【14】の文言に「論註にあるから、願文を出さない」とありますが、

四十八願よりも根拠として、論註を出すなどと、

 

願文と論註の重要度が半端なく逆転しています。

 

そしてこのあとは、「さとりそのもの」を論じていますが、

これが、「真如であり直接的3次元的時空」ではない、

「生死一如」を含むさとりのあり方を明示していますから、

 

「浄土往生が現生か死後か」などという論自体が、

 仏教とかけ離れた議論であり、空虚な戯論であるとわかるハズです。

 

戻って、

 

14】に、「還相の回向というふは、」

 とあって、第二十二願が引かれ、「一生補処の願」と定義したあとに、

「還相回向の願」と名づくべきなり。

 

と御自釈にあります。

 

一生補処は、正定聚ですから、往相になるのですが、

この後の論註の引文で、往相の五念門の果としての

「第五果門」を意味していることが

明確にされています。

以上

 

わたしは、親鸞聖人の教行証文類がどのように論を展開して、仏教としての論立てをしているかという観点で論じていますが、親鸞聖人は、そもそも「論註における内容は〜」ということをとりわけ重視せず、ある意味「断章趣意」になってもその文を引用していると読まなければ、教行証文類の読み手の手元に「論註」がない以上、親鸞聖人の主張に合わなくなると思っています。

とはいえ読み手は「仏教を知っているが浄土門を知らない」という対象者としているのは当然のことで、そうでなければここまで専門用語で書くことはできません。

 

 

 

 

 

 

 

◯続いてのテーマですが、

 

しかし

どう読んでも「現生往生」となっており、その現生において「五念門五果門の入出」を「往 相還相因果同時」に法蔵菩薩の行として行じることを説いています。

整理しましょう。世親(Vasubandhu)の五念門は、あくまでも願生者の行として説いてい ます。五念門は往生のため、五果門は成仏のための行と言われますが、往生も成仏もとも に現生なので内実に差はなく、視点の違いだけで、あくまで願生者が行人です。

ところが、曇鸞はそれらを法蔵菩薩の行と解釈し直したのです。凡夫には達成不可能だ からです。ただこの場合、法蔵菩薩をどうみるかが問題になります。すでに阿弥陀仏を内 在的超越と捉らえる以上、自身の外に対象的に見るのは疑問です。なので、私個人は法蔵 菩薩を未見性の仏性といただいてます。

――――――

このご指摘は同意いたします。

 

 

 

 

 

 

◯続いて

 

信心開発の瞬間に、私の法蔵は阿弥陀仏になられ ます。法蔵菩薩の修行の場は私の身中です。ただし、この修行は兆載永劫に続きます。

―――――

この点ですが、「大経」において、「設我得仏〜不取正覚」の問題があります。

これがあるのに、親鸞聖人は「大経の下」を「本願成就の文」とされていますが、これは信文類なので、いったん置いておきます。

もし、信文類をここに挟んで読んでしまうと「教行証」とされた意図を失うと思われるのです。

行文類に於いて、この「設我得仏〜不取正覚」については、未見生の仏性について、「あえて」といってもいいような二十四願経で、「蜎飛蠕動の類」を出されていると推察します。

もし、これが「仏性」の問題でなければ、この文言はジャマになってしまうと考えられます。

日本仏教は平安から鎌倉まで、ほとんどが「本覚思想」「真如論」を根本にしており、

道元の「仏作仏行」も、日蓮の「一念三千」も本覚思想由来だと思われます。

 

 

 

◯続いて

 

また、曇鸞は五念門の中、礼拝門・讃嘆門の二門は此土の行業としていますが、作願門 ・観察門・廻向門の三門は、此土と彼土、現世と当来にわたる行業と明かしています。『往 生論註』(注釈版聖典・七祖篇)に、

「いかんが作願する。心につねに願を作し、一心にもつぱら畢竟じて安楽国土に往生

せんと念ず。如実に奢摩他を修行せんと欲するがゆゑなり。」(P.105) と述べて、「如実に奢摩他を修行」するのは安楽国土においてである、としているのがそ の根拠の一例です。それは同時に往生と成仏を区別することになります。しかし曇鸞の当 面において、成仏を死後と見ていた証拠はありません。むしろ「無生の生」などは、確実 に往生を生前で語っています。私の知るかぎり来世浄土を語りだしたのは、七高僧の中で は道綽が初めてです。

 

――――――

 

このご指摘につき、道綽の時代の中国に景教が入っており、同時期の近隣に景教大秦寺があったということが「観経道綽造説」になっていると思われます。

ご承知のネストリウス派はキリストを人間として見て、その昇天は往生と等しく、カトリックのような戒律を守れないものが神への信仰から昇天していく先駆けをキリストとしています。

また、景教の碑文に「真宗」と記述されています。

 

ですから〇〇先生のおっしゃる

↓↓

ともあれ、礼拝門・讃嘆門を此土の行業にとどめたということは、凡夫の行としてはこ の二門が中心になるということです。それは明らかに世親とは異なります。そして更には 讃嘆門を重要視し、世親の讃嘆門は仏徳讃嘆だったのを、龍樹の称名を中心に据えて絞る のです。

↑↑

は曇鸞において、その通りだと思われるのですが、親鸞聖人においては、薗林遊戯地門までを此土とされていると思われるのです。

 

◯続いて

―――――

教行証文類を「教→行→証→真仏土」というながれでよめば、「諸仏代表の釈迦の大経によ る讃嘆()→諸仏の讃嘆から信力増上縁による衆生の讃嘆()→滅度(如より来生する)→還 相の菩薩としての垂迹()→それらの根拠は智慧(真仏土)」という構成になっています。

浅学の私にはよく理解できません。解説を要します。

仏教ではシノニムが多くて惑わされます。文脈の流れで要語が変るのですが、私は以下 のように受取っています。

※心澄浄(citta-prasāda) ← 梵本中にあって、魏訳で「信心」と訳される原語 ※智慧(prajñā) ≒ 禅定(dhyāna) ≒ 三昧(samādhi) ≒ 心澄浄(citta-prasāda)

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あくまでも、末法に教は「教」のみ残る、像法は「教行」のみ残るといった意味ではなく、本来の仏教の次第において「教行証文類」とされているならば、

教文類は出体釈が「大経」であり「五徳瑞相」によって真実とされています。

これは、諸仏(釈迦を含む)の広讃嘆にあたるので、そのまま「行文類に移行」して、

「無碍光如来のみ名を称する」の讃嘆門になります。

 

そして、この讃嘆門から大会衆門が集い、薗林遊戯地門へと流れる上記のプロセスが、

実は真如本覚による、「未見性の仏性」であり、本来悉皆成仏であるという点で、「証文類」の「利他円満の妙位〜如より来生して報応化、種々の身を示し現じたまふ」という、

「わたしならぬわたし」に「真如」が顕現していると読むことで、現生往生滅度が成立すると言えるのではないでしょうか。

 

そこで、これらわたしは本来仏性であるということを教えるこの「浄土真実の教」は、

「不可思議光、無量光明土」と表して、光明の徳を列記して、「涅槃経」を引いて「無碍」に落とし込まれ、「光明は名づけて智慧とす」とされています。

そして涅槃の四徳のうち「我徳」を除いた三徳を挙げられているところにも、親鸞聖人がいかに「我」を避けているか、初期仏教の「無我」に徹しているかが思いはかられます。

 

このように、教行証文類は「教行証真仏土」の流れの中に本覚仏性(真如)を論じて、これを願生心をもって行じるのが、「仏教として理解される浄土教」だとあきらかにしたのではないかと思われます。

 

また「サンスクリットから信心を理解する」というのは現代的手法ですが、あくまでも親鸞聖人の教行証文類の上では「サンスクリットによらない」けれど、「心澄浄」といった表現は出てきています。

 

◯続いて

しかしこの流れでわからない当時の人にとっては、二河白道と阿闍世などを中心に物語りと しての阿弥陀如来の法を疑蓋無雑にいただくことで、自己の罪業性を知らされるという「自我滅」から「如来名号に自我名を転換して無我になる道(白道)を歩むものになる」という「善巧方便」を説いているのが「信文類」だということになります。

ですからここでは「本願成就の文」が効いてくるのです。

―――――

ここまでに「本来の仏教」としての浄土教をあきらかにして、

別序をつけて「難しい論理のわからないひと、仏教学を知らない者」がどうしたら、易行として成仏できるかということを、今までになかった「信」という有為法がそれを成すという論が「信文類」だといえます。

ここで比叡山にいたなら当然学ぶであろう基礎学の倶舎論の「五位七十五法」において、

人間の心の動きとしての「大善地法」の「信」をもって「無為法」に至るというのですから、

行文類の151ページ【14】から増上縁について、六字釈の手前まで論じられています。

 

あくまでも有為法としての信を因にするなら、能作因(なにもしない因)によって、仏力を縁として無為法の果(増上果)を得るとしなければ、「親鸞は何もわかってない」という批判を浴びるでしょう。

当時、倶舎論は基礎ですから、知ってて当然なのです。

しかし「信心正因」に慣れすぎて、「増上縁」に触れないというのはいかがなことかと思うのです。

 

 

◯続いて

信巻の位置づけは、それでよいのでしょうか「つつしんで往相の回向を案ずるに、 大行あり、大信あり。大行とはすなはち無礙光如来の名を称するなり」で、行信ともに『大』 の字が冠されているのは、凡夫の行と信ではなく、如来の行と信だからでしょう。行信不離一体で、行は表面、信は内面ではないでしょうか?

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おっしゃるように「行は表面」「信は内面」といえます。

さらにここで「大」というのは、いずれも「仏性をあきらかにする」からだといえるのではないでしょうか。

親鸞聖人の教行証文類以外においても、とにかく「摂取不捨」ということが眼目にあると思います。

とにかくみんな「仏なんだ」「和合しよう」という意図が「聚(なかま)」という言葉や聖徳太子を尊敬するというところで、思いとして伝わってまいります。

 

◯続いて

そういう意味で「教行証文類」には、ダイレクトに仏教学から菩薩を行じて悟りに至るとい う流れと、信心をポイントにして自ずと悟りへ導かれる流れの2つの流れがあると思われま す。

そうでしょうか私には「2つの流れがある」ように思えません。そもそも大乗菩薩 道を、私に実践できるようには思えません。儜弱怯劣であることを痛感してます。宗祖も 大乗菩薩道を書留める意図はなかったと思います。ただ、称名念仏の仏道が大乗菩薩道に 匹敵することを論述したかったのではないでしょうか三願的証のように......

「名号独用」だの「賜りたる信心」だのというと、倶舎や唯識で天親が説いている「無為法 は因にはならない」という原則に異なることになり、仏教と相応しません。

「無為法は因にはならない」とは、どういうことでしょうか不学なため倶舎論を読んだことがありません。しかし、「無為法は実践できない」というなら理解できます。「法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり」というのは、法性法身は無為法だからで、聴聞し自受用身として称名できるのは方便法身でないと無理だからです。そのことでしょうか?

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以上については、いままでの中に記述させていただきました。

おおむねおっしゃる通りだと認識致しております。

ここで

「無為法は因にならない」というのは、

よく「死ぬのは何が因か?」といって「生まれたから」という法話を聞きますが、

自然の法は人間の心がどうであれ、在る状態なので、「無常を因として死んだ」とはいえないということです。

生死に関係なく在るのが「無常の理」だからです。

理法は因にならないという原則の所以です。

 

 

以上お尋ねの件につき回答になりましたでしょうか。。

およそ親鸞聖人が信心を重要視したというのは、教行証文類よりも、覚如上人、蓮如上人あたりからの刷り込みと、昭和におけるキリスト教のカトリックとプロテスタントの比較との同一性を論じた書物によるのではないでしょうか。

 

 

 

教行証文類について、「引文」は「御自釈」の証拠書類だとして「御自釈」ばかりを読んで いるような読み方ではわからないことです。「引文」を含めてすべてが親鸞聖人の言葉だと 読めば、スムーズにわたしが歩む仏道だということは明確です。

同感です。

そういう意味では、「江戸時代の宗学」が封建制による天皇と阿弥陀如来は同じという構造 を持ち、「感謝が大事」という仏教ではない儒教仏教であることを再認識して、先生が書か れているように、現代の心理学や脳科学、物理学やさまざまな高等教育を受けている人でも 納得のいく教えであると認識することがなければ、僧侶はバカにされます。

「天照大神は阿弥陀仏の奥の院」などと言ったのは、戦時教学ではないでしょうか私の戦時とは、教育勅語から終戦詔書までの間ですが......

そういう意味でわたしは「コロナ」が終わった後に、以前と同じように布教が行えるとは思 っていません。

同感です。災害などの異常事態が発生すれば、それまで変化の傾向として潜在してたも のが一気に吹出し、急変すると言われています。徐々に進んできた宗教離れが、一気に加 速するのです。宗門が逼塞するのは必至です。そのときに急場凌ぎに、とんでもないこと を仕出かす輩が出ないか心配です。事実、ある教区において、寺号の売却を希望する住職 が出てきました。

どんどん「お経だけの先祖供養法要」が増えて、日本の良き教えまでもが失われていくでし ょう。わたしはそれを案じているのです。

私は先祖供養法要も、まもなく廃れると思います。事実、年忌法要は激減しました。こ の数年で廃寺が出るようになるでしょう。自然と人間、社会と個人、身と心、大きな視野 でストレスのない調和を求めるには、縁起に対する洞察が肝要でしょう。カルト真宗は廃 れても、根本仏教はたとい一部の人にではあっても、大切にされるでしょう。

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