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2020-06-19 06:57:00
お釈迦さんは悟りと絡めて、スマホをどう語るか?
【タイトルの問いへ】
お釈迦さんは「死後の問題」などの論じてもどうにもならないことを戯論(戯れ)として、
「無記」とされたようです。
つまり「答えない」という姿勢です。
それが釈迦滅後に「バラモン教」などの他の教えが混ざり、
輪廻を実在としている経典や「浄土」を死後の世界という教えが生まれてきました。
しかし基本は「法印(仏教において曲げられないポイント)」に従って、
「無常、無我」が説かれていなければ、仏教と認められない。。
というお約束があります。
そういう点で、お釈迦さんがどう語るかは「戯論」であり「無記」であると言えます。
いずれにせよ、「スマホ」は在家の問題なので、「出家者」としては、問題にならないということになるかもしれません。
あえて「戒律」からいえば、トラブル(苦)の元を増やすことになるので、「禁止」となるかもしれません!
また「無我原則」からいっても、スマホという「やっかいな人格(我)」が生まれることにもなるから禁じられるかも知れません。
電磁波による「悪影響」も「禁止」の対象ともいえるでしょう。
このポイントからいえば「法人」という人格(我)も認められないのかもしれません。。