インフォメーション(日々更新中)

2019-04-27 02:22:00

チョーマジメにした理由(≧∀≦)

特に理由はないんですけど、武田センセの本を読んでたら、マジメな文体で書いてみたくなったっていうだけです(≧∀≦)❣️

2019-04-24 16:26:00

社会問題❣️

日本はいま「充分平和」です。

しかしその平和を作っている背景や作られてきた歴史を知らない人が多いので、

いろんな社会問題があります。

また、「じつは」平和に見えて「かなり深刻な問題」があることに目を向けられないぐらい「平和」です。

平和を作ってきた「教えられている歴史」が「偽りの歴史」といえるかもしれません。

「偽りの平和」なのでしょう‼️

しかし、「社会問題」を訴えている人が「その問題の枢軸」だったりします。

言いかえると、だれも「問題の本質」に触れず、枝葉末端ばかりを論じています。

フェイスブックを見ていても、いろんな問題に「いいね」や「シェア」をしているひとは多いのですが、「これを書いているひとは意図がある」のか「本当にわかっていないから」枝葉末端ばかりを論じているのか。。

見ていて「踊っているひと」が多いなぁと感じます。

 

そしてメディアや政治で「報道操作」をしているひとも多くいますが、その人たちにとっては「仕方がないこと」だと思います。

家族や友人を「暗黙に人質」にされたりしてる人が多いのですから。。

日本の報道や「見える意見、見解」には「意図がある」と思われた方がいいと思います。

 

まずは「世界を大きく変えようとするパワーバランスの駆け引き」をどことどこがやっていて、

その中から「各国間の問題」が出てきていて、「各国内の社会問題」に現れてくる。

という「世界的視野」から「個別の問題」との関連を見ていくクセをつけることが重要でしょう。

 

日本人は「操作されやすい民族No. 1」だということを忘れてはいけません。

しかし、古代から見れば「日本」には「ユダヤ民族」も「南方民族」も「漢民族」も「半島民族」も入っていて、「そもそも多民族」国家であることを念頭において、「なにがどこでどう動いているか」という歴史的側面も「ひとつの重要な観点」であることを忘れてはいないでしょうか。

 

だからといってこの「社会不適合者」がここで書いても「だれも相手にしない」でしょうから、

あえて書きません。

とにかく踊らないで「真実、事実」を見ていかれるようにおすすめいたします。

2019-04-24 15:40:00

法事や中陰の早見表(リンク)

http://www.saikouji.com/CalNenki.html

令和にも対応されています❣️

2019-04-24 00:29:00

葬儀について‼️(浄土真宗だけが仏陀。。)

最近の葬儀のあり方から「仏教の本義」を再び考えてみましょう❣️

https://r.goope.jp/sainenji/free/ohanashi

ここの36をお読みください❣️

あえて、改めて「葬儀」とはなにか⁉️

仏教や習俗の思考や由来から「皆さんなりに考えていただきたい」と思って、

根拠から考えていただける「資料」も載せています‼️

 

 

2019-04-19 05:08:00

Aの認識している世界

◯有はあるか?

 

説一切有部の論を「倶舎論」として、世親は「存在について五位七十五法」は有であると論じた。

しかし、龍樹は「我も法も空」であるとした。

そして存在は「仮和合」と論じたが、「和合する元になる」当時でいう「五大」は存在するのか?

五大も空であるなら、すべての存在を説明できない。

なんらかの有があって「存在」は成り立つ。

龍樹は、すべて「空」であるが故に、空もまた空であるから「空亦復空」と論じているが、

「空」も「亦復空」ならば、「亦復空」を成り立たせるなんらかの「有」がなければ、

「仮和合」すら起こりえない。

そこで、世親は「唯識を論じて」、「五位百法」の有を論じて、それは「阿頼耶識」に薫習される「種子」だとした。

 

これは量子論でいうところの「量子」であり「元素(原子)」であるといえよう。

また、「一般相対性理論」の「光の速度とそれ以外の速度」において観測される時間のスピードは異なるけれど、相対すると「同じ」と観測されるけれど、事実は「次元が異なっている」、つまりすべてのひとや存在は、まったく違う次元を生きているのに、同じであると錯覚しているということと変わりがない。

 

あなたがなにをどう認識しようと、それはすべて「あなたの認識」でしかなく、他の人は「まったく違う次元にいる」ということがわかっていないということを意味する。

そういうことを「唯識論」はいっている。

 

こういう論が「人間として生きていくうえでの世界観」そのものであるから、Aが感じている世界はすべてAの「世界観」でしかない。

昨日までに少しお知らせに書いたことは、Aの世界観のなかで起こっている「状態」でしかない。

だから、お知らせは、AがAに向けて「知らせたこと」でしかない。

こういう「仏教の論」は「真理であり」、「物理学も真理」であると言える。

Aの認識の中の皆さんはどういう「認識」を生きているのだろうか。

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