インフォメーション(日々更新中)
2025-05-28 08:11:00
罪業!
真宗で「罪業深重」が説かれるのは、難しい学問がわからない人のために、人間の価値観を誤謬である(邪見や驕慢である)ことを教え、自我を破る「無我」への移行を促すためである。
その中で「他利利他」を生きられるようになるのである。
2025-05-28 07:56:00
教行証文類の読み方
真宗の空華派という学派では、行を南无阿弥陀仏そのもの(名号)だとするので、「信じる対象の法」(所信の法)だと平気で当然のようにいう。
しかしこれは全くのミスである。
なぜなら、親鸞は教行証文類に、行は讃嘆であると明確に記述している。
これは浄土論註の五念門の讃嘆門である。
つまり、この時点で大きくミスっているから教行証文類がわからなくなる。
そして信を「名号を疑いなくいただくこと」という解釈をするから意味不明になる。
教行証文類には、「信」は如来の増上縁であって、私を行文類の「讃嘆門と薗林遊戯地門(五果門)」に導く「強力な縁である」とされている。
その強力な縁を「疑いなく受け入れる(無疑)」になった時、その縁が因としての意味を持つということを信文類には記述される。
そして、証文類では、そのプロセスが「現生正定聚(五念門)と五果門の第五薗林遊戯地門の実践になる」と明示されて、「往相と還相の因果同時を生きるものになること」が一生補処の私であって、滅度に至るものになることが明確にされている。
こんなことは、解説書や講義録を読まないで、直接本文にあたればわかることであり、なにも難しくもなんともない。
既成概念を刷り込まれるから難しいと思ってしまうだけである。
既成概念を取っ払って本文を読むことをお勧めする!!
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たぶん空華派の人たちは、蓮如と親鸞の狭間で苦肉の策を講じたのかも知れないと思ってしまいます!