インフォメーション(日々更新中)

2020-02-28 02:17:00

コロナに国が感染か?

雑誌のようなタイトルですが、マジえーかげんにしやなあきません!

 

どこそこで「感染が確認された」ってだれがどう確認したのか?

検査キットがそんなに早くから配布されているのか?

 

こんな「感染」を『個人医院』が「キット」で確認して、「発表」したら、

医院が「敬遠されて経営に影響する」と考えるだろうから、

風邪でしかないものを「わざわざ荒立てる」だろうか?

 

保健所が動いているとも思えない。

 

日本や中国また東南アジアの経済を止める「プロパガンダ」意外に、

騒ぐ理由がない。

 

政府も「もしこの先に何かあったら、政府対応に文句をいう人たちが出てくるだろうから」警戒せよといわざるを得ないのもわかる。

 

まぁオリンピック「できない」理由には都合がいいけれど。。

 

早くから「東京オリンピック」は開催されない。

あっても「スモールサイズ」といわれていたから、

 

これは好都合と言えなくもない。

 

困るのは、「経済」である。

もはや「コロナ倒産」するところがでているのだから、

 

このたびのコロナ倒産先に国家は、「ファンドをつける」などの「立て直し」か「債務の免除」対策をする方がいいだろう❣️

2020-02-26 03:25:00

平和な日本‼️

 世界標準はこんな感じ❗️

観光では見えないこと。。

https://afrc.mnd.gov.tw/AFRCWeb/

https://afrc.mnd.gov.tw/faith_martyr_jp/Content.aspx?ID=&MenuID=497&MP=26B0501A2-49CF-4934-9D14-BE1D09D07B27.png

2020-02-26 01:27:00

病気体質のアホな生命体‼️

わたしは、じつは生まれつき「喘息やアトピー」があって、

団体行動が苦手で、「アスペルガー的」で、変わり者で、

 

中学生の頃には、「人間」ってなんなのか?

「わたし」ってなんなのか?

 

「多数決」が正しいとも思えず、「数字」で人の能力を判断するのも納得いかず。

 

学校の授業は「100%」指示せず、勝手に自分の興味ある学び(主に読書)をして、わざとテストで名前までテキトーに書いて出して、0点取って、先生の反応を見たり、

 

人間的に魅力的な先生には「100点取る宣言」したり、

 

授業中に漫画を見てるフリをして「歎異抄」をバレるように読んでいて先生の反応を見たり。。と。。

 

こういった「ウラを見る」ということを小学校からやっていて、

「手品、マジック」のタネを探したり、「心霊現象」のトリックを探したり、

 

「何かにつけてなぜだろう」という「理由や背景」を見てきました。

 

「生病死」についても考え、「老は問題じゃなかった」けれど、、

生まれつきの「喘息やアトピー(アレルギー反応)」がなぜ起こるかなどの理由も探求して、中国医学を学んでみたりしました。

 

高卒後「中国の医学院(中医学院大学)」に行くことが決まっていたけれど、

まだ、「バリバリ人民服」の時代で、行くことが決まってから「学費について高額な費用」(月30万円)を求めてきたので、諦めましたが、

 

わたしは「儲け材料」だったのかと「ウラ側(理由と背景)から納得」しました。

 

けっきょくその後「太極拳や気功(まだ日本に広まっていなかった時代)」「心理学(催眠心理学を含む)」「東洋医学+αの西洋医学」「整体術」「宗教学」などを転々と東京と京都で学びつつバイトをしました。

 

それまでに読んだ「本の著者」(5人ぐらいだったと思います)に押しかけて学んだのです。

「東洋医学」は日本にいた中国人から学びましたから、中国語もこの頃学んだんです。

 

はじめての正就職は「京都の呉服問屋」でしたが、その頃には「親鸞さん」をきっかけに、「僧侶になる」と決めて、数ヶ月で辞めて「得度」をしました。

 

そしてなんだか分からないうちに「西念寺」に入寺しましたが、そこからは徹底的に仏教を学び、実践するという生き方を選んできたのです。

 

そして「社会現象の背景や理由」を求めて、自らの使命のようなものを実践しています。

 

なんでいまこういうことを書いてるのかわかりませんが、

 

もともと「病気体質」だったけれど、「先に書いたような方法で克服した」と書きたかったのです。

 

とくに「太極拳」は効果的でした。

学んだのは「武術の陳家太極拳老架式」という「太極拳」で、武術としても、身体調整としてもすぐれていると思います。

 

けれどすべてにおいて「仏教の原則」に腹を据えて「無常無我」だと「常に観察」していると、「怖いものはない」のではなく「怖い」という概念がなくなります。

 

だから「しんどい状態がある」けれど「解決方法は幾つもある」し、「死ぬときは死ぬ」と「智慧」に腹が据わって、「周囲にもそのように共通認識」してもらう「慈悲」を生きたら、とにかく「パニックも不安もなくなり」ます。

 

これも「自然のまま」書いているので、なんでこんなことを書いているか。

もはや「理由」すら問うこともなくなっています。。

 

ーーー

 

痛い時、痒いとき、なんか体調が良くないときには、

以下の方法をお勧めします。

 

1、ちょっとリラックスして、「目を閉じます」

2、痛いところの「細胞さん」をイメージします。

3、そしてその細胞さんに「どうしたの?」と尋ねます。

4、細胞さんの思いを聞いてあげます。

5、そして「その細胞さんの思いを解決する」ように努力するね!

という姿勢と「あなたがいてくれてありがとう」って最後にいいます。

 

これで「細胞さん」を助ける「ホルモンさん」が出ます。

「ホルモンさん」にもお礼を言いましょう。

 

これで、状態は改善します。

もちろん「細胞さん」が「素直じゃないとき」には、細胞さんが納得するまで聞いてあげて、お礼を言いましょう。

 

チョー真面目な話しです❗️

 

以上

2020-02-25 04:16:00

辛子色のアルバム❣️

ホンダのロードパルという「原チャ」を思い出した。

ゼンマイでエンジンをかける画期的な原チャで、

「ラッタッタのロードパル」というCMで時代を席巻した。

 

わたしの時代は、高校生でも16歳で原チャ免許を取って乗ることができた。

 

わたしは「花屋」でバイトして「ロードパル」を買った。

「忘れたくない思い出」のひとつだ。

 

「花屋」も知り合いのおっちゃんがやっていた。

わたしと友人を可愛がってくれたおっちゃんだった。

 

「お花の値段が分からないとき、自由につけてもいいよ!」

「これで昼メシ買いな!」って結構いい加減だったけど、

 

「重たい過去を背負っている優しさ」のあるひとだった。

いま鳥取に帰ると一緒にバイトしてた友人は、

「アキオは都会ズレしている」という。

 

人生の大半を関西で過ごして、たしかに「あの頃」を忘れかけていた。

わたしたちの世代は「青春」というキーワードで語られる世代である。

 

思いっきり「楽しくて、わかり合う喧嘩もして、夢を語って」という思い出が「心のなかに残って」いる。

 

今日同世代のひとと「ロードパル」の話しで盛り上がって、

あの頃を語っていた。

 

「忘れたくない出来事、忘れたくない友だち」を思い返していた。

 

わたしは、「5年ぐらいしたら鳥取に帰る」と友だちに言ったまま、

結果「38年」も帰っていない。

 

たまに帰ると「メイン通りの商店街」もシャッター通りになっている。

いまも「しゃんしゃん祭り」はあるのだろうか。。

 

「おっちゃん」になった友だちも、話しが合わなくて「心の距離を感じて」バカな自分がさらに「バカ」に思える。

 

けれど、あの時の「思い出は記憶から離れない」ままである。

故郷は「都会ズレ」したわたしを「あの頃」に呼び戻してくれる。

 

鳥取市の「学校の生徒たち」は今なお「黒髪」で、表情が純粋で、

人間性は、あの頃のままなのだ。

 

鳥取駅にいる生徒を見て、「この中学生のようなあの頃『初恋』をしてたなぁ。。」なんて「淡い恋心とそのひと」を思い出す。

 

「辛子色のアルバム」である。

意外にもわたしは「バラード」が好きなのは、「あの頃の純な気持ちを忘れたくない」からかもしれない。

 

「ふれあい」という歌もあった。

バラードというより「フォークソング」と言われた時代である。

 

しかし「バラード」なのだ。

わたしは「僧侶」という道を生きてきたので、

「お盆や正月」に帰省できなかった。

だから「同窓会」を知らない。

だから「多くの友だち」に、それ以降は会っていない。

 

いままで帰省するときは「家族や親族」に会うことが第一優先だったから、

むかしの友だちと「飲むこと」さえもほとんどなかった。

 

住んでいた家ももうない。

わたしの原風景は、友だちと「バカをやりまくった」自然の山と川と海、そして、、

「原チャ」で飛ばしていた「砂丘」だった。

 

山に入って遊び、山の中に「秘密基地」を作り、

山から流れ落ちる自然の水を飲む。

 

川で「魚」を釣る。

砂丘の砂浜で暴れて「海で泳ぐ」という恵まれた環境だった!

 

もう一度あの頃に戻ってみたい。

なんて「感傷的」ではないけれど、、

今日の原チャの話から「あのバカ丸出しの思い出」に浸った。

 

いまでも「バカ丸出し」の生き方を選んで「遊牧民」のような生活をしている。

「いつか、俺たちも青春を、むかし話にする日が来る。。」

 

そんな歌詞の通りである。

まさか本当に「そんな日が来るとは思ってもいなかった」けれど、

今日はむかし話を語り合った。

 

見た目は「都会ズレ」かもしれないけれど「魂」は「あの頃のまま」だと思っている。

「俺たちの旅」の旅のような「スピリッツ」である。

そう思う「バカなやつ」がわたしである。

 

「帰ろうかなぁ」鳥取に。。

 

 

ロードパル→https://www.honda.co.jp/50years-history/challenge/1976roadpal/page06.html

2020-02-24 23:32:00

こんな単純なことが多いです❗️

質問 山の上に「大きな石」があって、山の麓(ふもと)に下ろしてください。

 

と言われました。

あなたはどうやって「この石」を麓まで動かしますか?

(以下に回答あり)

 

Question!    There is a" big stone "on the mountain.  You want to move this stone down the mountain.  what to do?

 

問題! 山上有“大石頭”。 我想把這塊石頭下山。 你做什麼?

 

ーーー

 

「手で持って降りる」「リュックに入れる」などいろいろあるでしょう!

なぜなら「石の大きさ」が定義されていないからです。

人は、こういうマジックにかかりがちです。

ご注意くださいませ❣️

 

Please get off by hand.  Please enter the backpack.  There are various.

There is this magic in the world.  Be careful.

 

用手下車。 上背包。 依此類推。

世界上有這種魔力。 小心一點。

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