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2020-02-24 21:31:00

Buddhaの目覚め‼️

仏陀が「目覚めた法」は、仏陀が生まれとから「ある法」ではない。

普遍で不変な「法則」です。

仏陀は、これを自己の発見したものとは言わなかったのです。

 

ただ、過去の求道者や正覚者たち多くがたどった古道を、再見したに過ぎないと語りました。

 

こういう真理は、われひとりの思考によるものとは言わなかったのです。

 

そして古い経典は次のような話を伝えています。

 

「正覚を成就して」言い換えると、「悟りを得て」まだ間もない仏陀は菩提樹の下にとどまっていましたが、ある思いが思い浮かびました。

 

それは「悟りを得た」とはいえ、実は、三十五歳の仏陀には、未だひとりで公の高所に立つ自信が確立していたわけではなかったようです。

 

「尊敬し師事できる、沙門かバラモンがいれば、安心である」

 

仏陀は、誰か、同じ思想(悟り)を抱くものがあれば相依って行きたいと、いろいろと思いをめぐらしましたが、師事するような者は居ないと思っていたのです。

 

しかし、仏陀はひらめきを得ました。

 

「私は、法によって悟り得たのだから、この法こそ私が師事し、尊敬し、敬重すべきものである」ということだったのです。

 

これを後に仏陀は「法に依りて人に依らず」と説くようになったと文献にあるようです。

 

ーーー

 

Buddha's "law of wisdom obtained from meditation" is not a "rule" that no one knows unless the Buddha is born.

 It is a universal and immutable “rule”.

 The The Buddha The did not say this was his discovery.

 

 But he said he knew only the same way and the same rules as past seekers and perceivers.

 

 I did not say that these truths were our own.

 

 And the old scripture tells the following story:

 

 Immediately after waking up to the laws of truth, the Buddha stayed under a tan tree.

 

Despite being “enlightened,” the 35-year-old Buddha was still not confident to lead publicly.

 

 "If you have a Shamon or Brahmin that you can respect and study, you can feel safe."

 

 Dd In many respects, Buddha dd wanted to go anything if he knew the truth, but nobody thought he would study.

 

 But the Buddha was inspired.

 

 "I am awakened to the law of wisdom, and this is what I should study, respect and respect."

 

 According to the literature, the Buddha later began to preach this as "depending on the rules of wisdom rather than people."

 

(Rules mean the laws of nature and their wisdom.)

 

ーーー

 

佛陀的“靜心智慧法則”不是除非佛陀出生就沒有人知道的“法則”。

 這是一個普遍而持續的“規則”。

 佛陀沒有說這是他的發現。

 

 但是他說,他只知道與過去尋求者和感知者相同的方法和相同的規則。

 

 我們並不是說這些真理是我們自己的。

 

 舊聖經講述了以下故事:

 

 直後剛醒來的真理定律之後,佛陀就呆在棕褐色的樹下。

 

 儘管有啟蒙運動,但現年35歲的佛陀還沒有信心公開領導。

 

 “如果您有值得尊敬和學習的Chamon或Brahmin,您會感到安全。”

 

 如果佛陀知道真相,他會以多種方式想要任何東西,但是沒有人期望他學習。

 

 但是佛陀受到了啟發。

 

 “我被智慧律法所喚醒,這就是我應該學習,尊重和尊重的東西。”

 

 根據文獻記載,佛陀後來開始宣揚“它依靠智慧法則”而不是人類。

2020-02-24 21:30:00

DNAって。。。

DNAって結構あいまいだった‼️

 

In fact, DNA testing is not accurate!

 

實際上,DNA測試不准確!

 

https://news.yahoo.co.jp/byline/nakayamayujiro/20161130-00064707/

 

http://www.m.chiba-u.ac.jp/class/houi/topics/topics-3.html

 

https://www.npa.go.jp/hakusyo/h20/honbun/html/kd320000.html

2020-02-22 03:41:00

救われない布教‼️

前回の引用から。。

 

ーーー

 

なぜ、釈尊は、教えを文字で残すことを許されなかったのか・・

 

「文字化→概念の固定化→実体視→執着→迷い苦しみ」ということがあるからではないかと存じております。

 

ーーー

 

この部分で、「概念の固定化」とある部分が大きなポイントだと思います。

「同じ文章を読んでも、同じ概念を持つことはほぼないといえます」

 

理由は「いわずもがな」で略しますが、

真宗の法話を聞いて、、

「阿弥陀さんが死んだらええとこに行かせてくれる」という概念化から、、

「阿弥陀如来によって悟りへ至る」という概念もあり、

「名号なるものが、浄土へ行かせてくれるねん」と言った概念もあるでしょう。

 

ここに正しさはあるでしょうか。

 

釈尊にとって「正しさ」ということは、「苦悩のもの苦を根源的な部分から除くこと」であり、「それ以上でも以下でもない」でしょう。

 

英語の「正義=justice」は、「公平、バランス、ある定義においてそれ以上でも以下でもない」と言った意味を持つようです。

 

また、釈尊は「教団や組織」を率いていたという意識はあったのでしょうか?

つまり「セクト意識があって」わたしでなければ救えない。

 

と思っていたのでしょうか?

 

この「釈尊に関する概念」も固定化できるのでしょうか?

だからといって、誰にでも「なんでもいい」という姿勢であったかどうかもわかりません。

 

《わからない過去を論じる意味はない》

これが真実ではないでしょうか!

 

ならば《明確になる未来を現在させて生きる方が有意義ではないのでしょうか!》

 

釈迦がどう言ったかではなく「釈迦などの先人の智慧を得て、「いま苦しむものを(自己を含めて)救う」という現実に意味があることを論じることこそ、人間種にとって意味があるのではないでしょうか!

 

偉いひとや悟ったひとが言ったことを「概念化」して伝えてみても、

その概念が「ひとを救うことがどこまで可能」なのでしょう。

 

少なくとも「ほんとうに〈ある概念〉によって救われた事実があって伝えられることなら、意味はあるかもしれません」が、、

 

「阿弥陀如来」の信心をいただいて「称名」していて、どうにもなっていないならば、「救われるそうですが、いまわたしは実体験中でまだわかりません」という方が「正確」で、かえって「共感は得られる」でしょう。

 

しかし、僧侶や布教使が、「世俗で苦しんでいる人にあらかじめ設定された場所で、阿弥陀さまの救いが云々」といってみたところで、

その僧侶や布教使が「名誉やお金」のために「なりもしない話をしている」と聴衆は思っているようです。

(事実お礼が安いのどうのと、ウラではいっている布教使も多いものです)

 

これでは「共感すら得られません」から、「門徒(檀家)の役員さんはめんどくさそうに聞いている」のです。

 

「こんな話になんでこんなにお金を払うねん」と思っているのは「出資者」である門徒さんであり役員さんなのですから。。(わたしのエリアでは報恩講は特にそうです)

そこが納得しない以上「無意味な概念」を話していると「自省しなければならない」でしょう。

 

「それ以上でも以下でもない」適正な救いを伝えなければ無意味であり、社会から「葬儀を含めて不要」と思われても仕方がありません。

 

しかし、こういうFBで問題提起をしている僧侶方は、もはやそう思っておられるのでしょう。

 

何にもしていない「僧侶方」が問題なのかもしれません。

 

これは「キリスト教」にもいえることで、わたしもいろいろ「キリスト教会」を尋ねてみましたが、僧侶事情と大差ない感は否めません。

 

また「古くなった新興宗教」も同じ状態のようです!

2020-02-21 03:55:00

宗教のM&A‼️

遡っても、シルクロードの時代から「貿易や文化交流」はあった。

いまでは「当然のこと」であり「技術交流」もある。

 

また「M & A」もあり、多くの分野では垣根を超えて交流がある。

いわずもがな、「シークレット」について、それはそれであるだろう。

 

しかし最も「交流されない」のが宗教である。

日本では「会話にすら出てこない」のは、宗教の垣根が高いからではないのだろうか?

 

それは「宗教団体に所属していない一般人にも及ぶ」といえる。

日本語の用法というお堅いことは置いといて「お寺は敷居が高い」というのも、しきたりや地域による「縄張り」という要素が垣間見えるからかもしれない。

 

わたしは「布教使」という役目によって「いろんな寺院」に行くけれど、その寺院の檀家さん(門徒さん)の雰囲気は「住職さん」の雰囲気を見ているとよくわかる。

 

「お堅い住職さんの寺院は檀家(門徒)さんもお堅い雰囲気である」

「柔軟な住職さん寺院は、柔軟な雰囲気がする」というのは、多くの布教使は体験しているであろう。

 

わたしのような者は「住職さんがウエルカム」な寺院が多いけれど、

何かの間違いでわたしのようなものが「お堅いところへ行く」と二度とご縁はないものである。

 

「ガードが堅いのはなぜなのだろうか?」

 

「摂取不捨」の世界観の中にいながら「選取廃捨」されている感がある。

こういった「風潮は日本語における仏は絶対にして軽んずべからず」という「本末転倒した堅さ」がある。

 

最近は「以前の新宗教団体が礼拝の対象物を持たずにスピリットを変える」というような「絶対者を持たない智慧のセミナーや教育団体」に変化しているところもある。

 

そういうところは「どんな宗教に入っていても、ウエルカムである」が、いかんせん「宗教団体」は「うちの教えが絶対である」という姿勢を崩さないために、「ちょっと立ち寄ってみようか」とも思えない。

 

今後は、世界レベルで見ると「宗教のM & Aがあってもおかしくない」と思えるけれど、日本は「小さな世界で収まっているところが多い」と感じる。

 

それは、さながら鎖国のようでもあり、篤信者は丁寧に扱われて、新参者は混ざりにくい雰囲気に満ちている。

 

そろそろ「2020年」なのだから「グローバルな交流があってもいい」のではないか、意味不明な「宗教サミット」では、一般人にはなにも届かないし、「パフォーマンス」にしか見えない。

 

「真宗の僧侶が、キリスト教の牧師さん」に「昔は交流があったから、似通った部分があるようですね」なんていう声をかけて、「交流をすれば和合できるハズ」である。

 

悪魔崇拝なんていう「フリーメーソン」では、そういう垣根を超えて、それぞれを尊重しながら「友愛」を守っている。

 

この組織は「多くの日本人は知らないうえ、多くの誤解をしている」からあえて書いているけれど、見習うべき理想像がある。

 

セクトの壁を越えようではありませんか?

そうしたからといって、「自分の信仰を曲げることにはならない」のですから。。

 

どの宗教も「神や仏」のためにあるのではなく、「苦しむ人間のためにある」のですから。。

2020-02-20 23:50:00

お盆や数珠は仏教じゃなかった、、かも❗️

【ご参照ください】

①お盆と先祖供養

仏教にはもともとお盆という風習はありません。お盆は盂蘭盆(ウラボン)の略ですが、これは「死者の霊魂」を意味するペルシャ系のソグド語「ウルバン(URVAN)」からきたというのです(仏教学者・岩本裕博士の説)。

ソグド人には家に祖霊を迎え、供え物を共に楽しむという風習がありました。中国のお盆はこれを取り入れたモノだというのです。

また景教徒にも、「じつは先祖の霊魂の慰安を祈る風習」があったと言います。

 

ユダヤ人は昔から、死者の慰安のために祈る風習を持っていました。ラビ・トケイヤーにお聞きしたところ、今日でもユダヤ教においては、ユダヤ暦七月一五日の「仮庵の祭」のときをはじめ、年に数回、先祖の霊のために祈る特別なときがあるそうです(イズコル)。

じつは中国には、ソグド人や景教徒がやって来るまで、死者のために祈る盛大な行事としてのお盆の風習は、ありませんでした。意外に思われるかもしれませんが、インド仏教にも中国仏教にも当初、お盆や、死者のための供養の行事はなかったのです。

しかし、中国は祖先というものを大切にする所です。その中国において、景教徒たちは勢心に、神の憐れみに満ちた取り扱いが先祖の霊魂にあるように祈りました。そうやって先祖を大切にする景教徒たちの態度は、中国社会でたいへん歓迎されたのです。そのために景教は、非常な勢いで人々の間に広まりつつありました。

一方、仏教は「先祖や親を大切にしない教え」として、儒教徒などから攻撃を受けていました。仏教は出家王義ですし、もともと、親を捨てないと救われないとする教えです。また先祖に執着心を持っていては修行できないとする考えですから、先祖や親への孝行を説く儒教の人たちから、さんざんに非難を受けていたのです。

それで、仏教でも先祖や親を大切にする態度を見せる必要がありました。中国の仏教僧たちは、景教徒たちに対抗し、「彼らに負けないだけの死者を弔う行事を仏教でも持とう」、と計画しました。そうやって、景教徒が中国へやって来た七世紀頃から、中国や、また日本でも、お盆の風習が始まるようになったのです。

ソグド人とインド人の混血として生まれ、長安の都で景教教会のすぐ近くに住んでいた密教僧・不空金剛(アモガ・ヴァジラ)はまた、西暦七六六年に、仏教徒らを集めて盛大な「死者のための供養祭」を行ないました。七月一五日のことです。これは道教の「中元」の日でもあったからです。

彼らはこうして、様々な宗教概念を仏教的な概念に編成し直し、景教徒への対抗意識から、歴代の中国皇帝の慰霊のために祈りました。このようにして、中国における「お盆」の風習が、仏教行事として定着したのです。この風習は、さらに唐の時代の中国にわたった空海や最澄らを通して、日本にも輸入されました。日本でもこうして、今日見られるような「お盆」の風習が定着したのです。(『日本・ユダヤ封印の古代史2-仏教・景教編』)

 

② 【ご参照くださいの2】

数珠と焼香

僧侶の必需品であり、私たち一般の者でも葬式には必ず持参する数珠、これもキリスト教のコンタツ(数珠)が元になっているようです。ケン・ジョセフ氏は「一般に、仏教における数珠の発案者は、中国、随・唐時代の僧、道綽(どうしゃく 五六二~六四五)だったと言われています。しかし、これはちょうど中国に初めて景教が入った時代で、景教徒の風習であった数珠が、仏教にも取り入れられた」のだろうと述べておられます。

この時代、『大秦景教流行中国碑』にあるように、中国において景教が全盛であったことと考えあわせると、なるほどと頷けるモノがあります。

また、焼香という風習についても、仏教には元々なかったモノです。これについても、ケン・ジョセフ氏は、「じつは線香とか焼香の風習は、もともと仏教の風習と思うかもしれませんが、そうではありません。仏教にははじめ、そうした風習はありませんでした。一方、インドや中国、日本にやって来た東方キリスト教徒たちはみな、香炉などによって香をたく風習をはじめから持っていました。ユダヤ人も、礼拝のために香をたく風習を、モーセの「幕屋」(神殿の原型)の時代から持っていました。(中略)また、景教の教会では、ろうそくを立て、あかりを灯しています。祈りたい人はろうそくを買い、それをろうそく立てに立てて祈るのです。これも、仏教の寺院に同じ風習があります」と述べておられます。

このように、葬儀と供養という面から、日本の文化というモノをみてきましたが、仏教とは違う日本の顔が表面に浮かび上がってきました。

生活の面、言葉の面、また神道の世界からアプローチしていけば、我々が思いもつかなかった日本が浮かび上がってくるはずです。

 

まとめ

今、仏教でいう常識について、ちょっと偏った見方かもしれませんが、一つの観点をあげてきました。こういった作業を敢えておこなったのは、それは仏教がどうとかキリスト教がどうとかいう問題でなく、葬儀が必要なものかどうかという切り口から、自分にとって「死」とは何か、「生」とは何かということを自由に考えてみて欲しかったかからです。今まで纏っていた「宗教」とか「常識」とか「世間」とかいう鎧を脱ぎ捨てて、自由になって、この問題を考えてみて欲しかったからです。

「仏教では」とか、「キリスト教では」とか、「世間では」という発想ではなく、自分はどう思っているか、裸になって考えてみることから本当の答えが出てくるような気がしてならないからです。

(以上引用)

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