インフォメーション(日々更新中)

2019-06-30 22:55:00

占いに。。

わたしたちは、「意思決定」をだれに依存しているのでしょう!

占いや宗教を信じないといってる人は「世間の情報に基づく自己決定」しているという中に、「本当の自己」はどこにあるのでしょう。。

 

今日、ある若い女性から、「付き合ってる彼」と「結婚する」と聞き。。

まだ「同棲して短いのに、エライ焦ってるね!」というと。。

その理由が。。

だって「結婚すれば、税金面で控除があったり、会社から手当てがでると彼がいうから」と聞いた!

これが、事実だとすると「どこまで資本主義」に毒されているのか⁉️

この「23才の彼は信用できるのか。。?」なかば「大丈夫?」っていう気持ちで聞いていた。。

 

「無宗教」「無信仰」を標榜している人は、「儲かるならばと右往左往と振り回される」のではないか⁈

「拝金教」のひとも多いから、やたらと「儲かりますノウハウ」ばかりを買って、結構なお金を使っている。。けど、儲かるはずもない‼️

 

わたしは「こういうセミナービジネスの仕掛け人を知っている」けれど、「出版社」を作って連携していたりと「かなり巧妙である」から、多くの人が「はめられている」けれど、「はめられている人」は「なにを元に意思決定して」そうなったかを考えていただきたい‼️

 

そういう点でも「キッチリとした意思決定」を「深い意味での神」や「深い意味での仏、如来」に持っていけば、そういったことで「右往左往することはない」であろう。。

 

「占い師」は、「あなたの本心には、不安がありますね!」と言った「漠然とした文言」から、相談者のこころや意思を「誘導して定義していく」から。。

「不安の根は、〇〇でしょう」などと、「引き出した話し」から「定義して」、「だからこうしたら運気が良くなります!」といった風に「結論」を「定義するから」。。

「そう言われるとそうです!」なんていうように「相談者」は、「多くある現実の情報から一部分をポイント定義されている」とは思わない!

 

現実の中から「なにがポイント」で「どうしたらいいか」という答えは、「深い意味での仏、如来または神」に問う方がいいのです!

もちろんその前には「経典や聖典の内容を学ぶ」必要があるけれど。。

 

いま「相方とケンカした」。。「ここにどのような理由があるのか?」というような「何気ないひとつひとつの出来事の理由」を「憶念や祈り」によって導き出すことで、「自然にどうしたらいいか」が導き出される!

 

この背景には「確かな経典や聖典の論」があるから、「振り回される」ことはないであろう❣️

2019-06-30 01:15:00

弥勒菩薩ってけっこう。。(オマケ三法印って?)

弥勒菩薩さんは色んなところに出てきはります!

行き着くとなんだか、「未来仏かと思ったら」いろんなカタチで信仰されてます‼️

弥勒信仰には、上生信仰とともに、下生信仰も存在し、中国においては、こちらの信仰の方が流行した。下生信仰とは、弥勒菩薩の兜率天に上生を願う上生信仰に対し、弥勒如来の下生が(56億7千万年などの)遠い未来ではなく現に「今」なされるからそれに備えなければならないという信仰である。

浄土信仰に類した上生信仰に対して、下生信仰の方は、弥勒下生に合わせて現世を変革しなければならないという終末論、救世主待望論的な要素が強い。そのため、反体制の集団に利用される、あるいは、下生信仰の集団が反体制化する、という例が、各時代に数多く見られる。北魏大乗の乱や、北宋南宋白蓮教が、その代表である。

日本でも戦国時代に、弥勒仏がこの世に出現するという信仰が流行し、ユートピアである「弥勒仏の世」の現世への出現が期待された。一種のメシアニズムであるが、弥勒を穀霊とし、弥勒の世を稲の豊熟した平和な世界であるとする農耕民族的観念が強い。この観念を軸とし、東方海上から弥勒船の到来するという信仰が、弥勒踊りなどの形で太平洋沿岸部に展開した。江戸期には富士信仰とも融合し、元禄年間に富士講の行者、食行身禄が活動している。また百姓一揆、特に世直し一揆の中に、弥勒思想の強い影響があることが指摘されている。

ミスラインド神話におけるアーディティヤ神群の一柱ミトラと起源を同じくし、古くは古代アーリアにおいて信仰されていた契約の神だった[5]ゾロアスター教においては中級神ヤザタの一柱とされ、英雄神、太陽神とされる。ただし、教祖ゾロアスターは、ミスラをはじめとする神々ではなく、アフラ・マズダーに対してのみ崇拝をすべきだと宗教改革をしたため、周辺のアーリア人の宗教に比べ、ミスラ神は低く位置づけられている。また、古代ギリシャ・ローマにおいてはミトラースと呼ばれ、太陽神・英雄神として崇められた。ミスラはクシャーナ朝ではバクトリア語形のミイロ(Miiro)と呼ばれ、この語形が弥勒の語源になったという説もある[6]

やっぱり、「三、四法印」が抜け落ちたら、変になっていくんですね(≧∀≦)

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三、四法印、

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静と一切皆苦ですが、

中村元は、三法印は部派仏教のものであり、それに対して、大乗仏教諸法の実相を説く「実相印」を標幟とするとしている[8]。大乗仏教では部派仏教の三法印とは別に、諸法実相の「一法印」がよく説かれるとされる[4][9]。中村は実相印を第四の印としている[8]。なお、諸法実相が意味する内容は諸宗派の教学によって異なる[8]。中村は、龍樹(ナーガールジュナ)は三法印のほかに別の法印を立てなかったとしている[10]。袴谷憲昭はエジャートンの『Buddhist Hybrid Sanskrit Dictionary』には“dharmamudrā”の用例が三つしか挙げられておらず、すべて梵文の法華経によるものであると指摘している[5]。また袴谷は、坂本幸男による「小乗教は三法印、大乗は諸法実相印。」という言明について、天台宗智顗の所説に依っていることを推測している[11]

 

四法印

四法印(しほういん)は、部派仏教の根本的な理念を示す教理である三法印[1]一切行苦印」[疑問点]を加えたものである[2]。『瑜伽師地論』の四法嗢拕南(udāna)説では、「一切諸行皆悉是苦」としている。

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なんていう、東大の大家だった「中村元」氏の説と、このホムペで紹介してる「本覚思想批判」の「袴谷」氏の説が載ってます!

2019-06-29 02:22:00

主の祈りと「信文類」(方便則)

キリスト教には、「常に称える《主の祈り》」という文言があります。

主は「絶対神」ですが、仏教は「神」を認めないのが基本ですが、

思考構造は同じで「法」という「無為」は「絶対」です!

 

この「法」の方便人格化(有為化)が「阿弥陀如来」で「絶対神」とほとんど変わりません。

人間と如来は「根源的に一(イチ)」ですが、「阿弥陀如来」は人間に対して絶対であるという立ち位置で「方便則」が説かれる以上「2」になります。

ただし、教行証文類の「真実則」は「無為法で無機質な無我、空」ですから「一」です❣️

 

しかし親鸞が「方便則」(信文類)に記述している内容は、インフォメーション(6月23日部分)に書いたように、

「景教(中国にあったキリスト教)」に構造が酷似していて「天台宗(比叡山)」にも「真言宗(高野山)」にも伝わっているところから、親鸞も「知っていた」と考える方が自然です‼️

 

とにかく「阿弥陀如来」と「神」はいろんな部分が符合しています!

「絶対的」「光」「夜」「智慧と知恵」「愛と大悲」「他力性」「み名」「偶像崇拝ではない(絵像より名号)」「ひとりご」「無分別智(神か法に全てが集約される)」「慚愧と懺悔」「国」「悪から護る」(冥衆護持または阿弥陀経の一切諸仏所護念経)「父母にたとえる」などなど、

数え上げたらキリがないぐらい符合します!

なにより中国では「景教」を「真宗」と呼んでいたことは重要でしょう!

また「善導」の「光明寺」は、「景教」の「大秦寺」と近くにあり、「観経中国撰述説」で言えば「南无阿弥陀仏」という「南无と阿弥陀仏」を連結して《み名》を重要にする」のは、

この辺から生まれています!

 

また、法然の親は「秦氏」であるという「特殊な生まれ」でもあります。

 

さて試みとして、この「主の祈り」を「信文類」に則して記述してみます!

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福音ルーテル教会の「主の祈り」から。。

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天にいます、われらの父よ。
 み名があがめられますように。
  み国が来ますように。
みこころが、天におこなわれるとおり、
 地にもおこなわれますように。
わたしたちの日毎の食物を、
 今日も、お与えください。
わたしたちに負債のある者を赦しましたように、
 わたしたちの負債をも、お赦しください。
わたしたちを試みに会わせないで、
 悪しき者からお救いください。
み国も、力も、栄光も、
 とこしえにあなたのものだからです。
             アーメン(その通り=南无)

ーーーーー

 

阿弥陀如来のみ名を諸仏とともに讃嘆し、十方に広まっていきますよう!

そして浄土という「浄国」へ「欲生心」をもって来たらしめんことを願います。(ここは未来法の落捨)

「浄土」の「智慧と如来の大悲」がこれからも「十方に聞こえます」ように。

「法滅に至って」もなお人間界にも、そそがれますよう!

救いの恵みに報謝します。

 

わたしたちも「十方衆生」を受け入れます。

わたしたちは「慚愧」(懺悔)をもって、如来を讃嘆いたします。

 

わたしたちが「地獄、餓鬼、畜生」の三悪道という悪しきものから諸仏の守護があって、

三悪道に退転しませんように。。

浄土も本願力も光明も永遠に「如来」による賜わりものですから。

                                                           南无阿弥陀仏

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真宗の領解文(お東で「改悔文」という)

もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみまうして候ふ。たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ[3]

(ここまでの内容は意味がほぼ同じ)

この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人[4]御出世の御恩、次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候ふ。このうへは定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもりまうすべく候ふ。

(真宗で蓮如以降、日常的に唱えられている、最近は用いない寺院も多い)

 

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女子パウロ会とその他共通の「主の祈り」

『主の祈り』(聖公会/ローマ・カトリック共通 )

 天におられるわたしたちの父よ、
 み名が聖とされますように。
 み国が来ますように。
 みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
 わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。
 わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
 わたしたちを誘惑におちいらせず、
 悪からお救いください。

 (エキュメニカルな集いなどで、頌栄を続けて唱える場合)
 国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。

 アーメン

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カトリックの「主の祈り」

 

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖〔せい〕とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を
今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。
[アーメン]

 

2019-06-29 01:41:00

禁断の木の実と虚妄分別❣️

旧約聖書『創世記』によると、アダムの創造後実のなる植物が創造された。アダムが作られた時にはエデンの園の外には野の木も草も生えていなかった。アダムはエデンの園に置かれるが、そこにはあらゆる種類の木があり、その中央には命の木善悪の知識の木と呼ばれる2本の木があった。それらの木は全て食用に適した実をならせたが、主なる神はアダムに対し善悪の知識の実だけは食べてはならないと命令した。なお、命の木の実はこの時は食べてはいけないとは命令されてはいない。その後、女(エバ)が創造される。が女に近付き、善悪の知識の木の実を食べるよう唆す。女はその実を食べた後、アダムにもそれを勧めた。実を食べた2人は目が開けて自分達が裸であることに気付き、それを恥じてイチジクの葉で腰を覆ったという[2]

ーーーーー

アダムとエバが食べたのは「善悪の知識の木」の実だと記述されている!

まさに「無明」という人間が、「虚妄分別」によって「長夜」(生死分別の迷い)を生きている!

「あれはいい、あれは悪い」といい「生きている、死んだ」とか「分別が一如を分断する」ことが、

「神によって、一如になる」けれど、もともと「一(イチ)」だった「神」が人間を創造し、

「男女」という「2」を生んだ!

正確に言えば「神」「堕天使」「アダムとエバ」の「4」と言えるかもしれないけれど、

ユダヤ教やキリスト教では「イエスキリスト」がいる居ないがあるからなんとも「数字は確定できない」けれど、細胞分裂のように、別れていく!

 

氷が水に変化して、蒸気になるという「一つの流れ」と同じように人間の生命も変化してながれているけれど「生まれたとか、死んだとか」人間の思考が分断するだけ、「勝ち負け」「健康と病気」「富と貧」などの分断が「苦を生む」ことは、この「善悪の知識」「無明」によるということで、「同じ内容」だと言える‼️

 

ーーーーーイスラム教の「アダムとイブ」

《重要な前提事項》

イスラム教も、ユダヤ教も、キリスト教も微妙に「名称」が違うけれど、「同じ神」である!

ーー

アラビア語で書かれた『クルアーン』(コーラン)では、エロヒムはアッラーフと、アダムはアーダム(Ādam)と呼ばれ、人の祖にして最初の預言者として登場する。イスラム教ではアーダムは「人の父」と称され、人を総称するときは「アーダムの子ら」という語が使われ、「アーダムの」といえば「人の」という意味にもなる。ハヴァ(イブ)すなわちアーダムの妻はハウワーと呼ばれるが、『クルアーン』にはその名前は直接に言及されていない。

『クルアーン』によれば、アーダムはアッラーフの地上における「代理人(ハリーファ)」としてから創造されたという。天使たちは人を地上に置くと地上で悪をなすと反対したが、アッラーフは最初の人としてアーダムを創造し、万物全ての名称を教えた。そのため天使ですらも万物の名はアーダムから教わり、彼に平伏したという[11]。しかし、先に天使と同じような存在あるいは天使の一員としてアッラーフによってイブリースが、創造された。続いてアッラーフはアーダムの妻を創造し、2人を楽園に住まわせた。しかしアーダムはイブリースの言葉に惑わされて、妻とともにアッラーフに食べることを禁じられていた楽園の果樹の実を食べてしまった。二人はこれを悔いてアッラーフに悔悟し、罪を許されたものの、楽園を追放されて地上に下された[12]。『クルアーン』の伝える物語は、『創世記』の失楽園物語と比較すると、果実を食べるよう誘ったのが蛇ではなく(悪魔)である、誘われて果実に手を出したのは妻ではなくアーダムのほうであるという違いがある。

その後、2人は地上で子をもうけ、人類の祖となったとされる。なお、『クルアーン』には記述されていないが、イスラム教の伝承によれば、地上に降りた2人は初め別れ別れであったが、のちにメッカ郊外のアラファート山で再会することができたという。

 

 

2019-06-28 23:04:00

ことばの深み‼️

「ことばが世界観を定義する」以上、

使っていることばを「どれだけ深く定義できるか」「どれだけ整理整然と定義できるか」「情動を論理的に定義できるか」ということは「重要」です!

 

これを「功徳荘厳」といい、「天地創造」といって「整理整然」として現実を定義しているのでしょう!

 

「社員一丸となって協力し合い頑張りましょう」という「スピーチ」は、なにを意味しているのでしょう⁉️

「社員ひとりひとりの個性を各チームで判断しながら、〇〇という結論に向かって、どうしたら進めていけるのか議論と実践を重要項目として、進めていきましょう」

 

というぐらいに「定義すれば」まだ「具体的に整理」されて「論理的に整理」できます❣️

こうやって「具体的に定義する」と、この「仕事」に「わたしの個性」の「〇〇な部分」が活かせて、チームそれぞれの「個性や適性」が理解できて、結論に「向かいやすい」というふうになります。

 

「自信を持って」っていわれても「どう考えたらいいのかわかりません」

「あなたの〇〇なところが、とても普通では思いつかないことだね」

って言われる方が「自然に自信が身につき」ます!

 

「お父さんが怖い」って?

「顔が?、声の勢いが?、なんらかの行動が?、発言内容が?」などについて「明確に整理して定義する」と、「整然としてきて問題点が明確」になります。

 

「神や仏なんか居ない」という「神や仏」をどう定義して「発言している」のでしょう。。

「仏や浄土」「天国」なんでもいいけど、「定義を深くしていける」と「人間の深さ、自然の深さ」が感じられて、「生きる次元が変わり」ます❣️

 

単純に「お浄土に往生します」だけでは、「深く定義できない」から、

「浄土ということから〇〇なことが、わかっていきますね」などと、〇〇の部分をどう深く定義できて、「共有できるか」ということが「伝道」のポイントとしては重要になるのです!

 

「神に理由を聞けば、現実を整然と整理でると同時に、深く現実を定義でき」ます!

「如来に、功徳荘厳を聞けば、深く現実を定義でき」ます!

 

《深すぎ》て「共有できない」ならまだしも、《浅すぎ》て「バカらしくなる」では困ります‼️

 

 

 

 

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