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2020-02-18 16:46:00

なぜ自分を変えられないのか❓

【どうしたら自分を変えられるか?】

 

産まれたら「泣く」から、親などがきて「あやす」と、「笑う」❣️

その反応に赤ちゃんは、「泣くこと、笑うこと」は有効性があると認知する。

 

ネグレクトの親が育てると「泣くことにも笑うことにも意味がない」と脳が判断して「泣かない笑わない子になる」

 

ここで「行動心理学」がいう、「気持ち(こころ)より先に行動がある」という論が立つ。

 

行動心理学はいう。

「泣くから悲しくなってくる」「笑えば楽しくなる」

 

「どうしたら自分を変えられるか?」

 

「行動から先に作ること」である❗️

「なりたい自分を演じること」である‼️

 

「ボランティアに興味がない」「ボランティア精神がない」というのは、

やったことがなければ「当然」である。

 

「気持ちはどうでもいいからやってみたらわかる」

これは「なににでも言えること」である。

 

ここで「真宗には行がない」といってしまうと、「こころも育たない」といええる。

 

「聴聞だけではなにも変わらない」のである。

 

「法蔵菩薩を生きる」という「五念門行」が自己を変える。

 

とにかく「仏の願うところを願い、行じたもうところを行じる」ことが、「さとりへの精神を生む」のである。

 

他者依存をしている人は、その依存対象を真似て「偽(ニセモノ)になったらいい」と源左さんという「篤信者」も言っている。

 

ニセモノになったら、どんどん「気持ちもホンモノになる」ということである。

つまり「行動が心を作る」という「理」である。

 

「真宗には行があるから《行文類》がある」といえる。

「仏教が《行》を重んじる」のはこういう学があったからといえるだろう‼️

2020-02-16 16:10:00

不倫ってどうなんですか?

今朝FBの友人の「問い」から書きます。

ーーー

【問い】

中神さまは 不倫ってなぜ起こりうるとお考えですか?

宜しかったらったら 教えて下さいません?

ーーー

【わたしなりの考え】

まず「不倫」という表現に「道(倫)を外れた」「浮気(浮いた気持ち)」という意味が含まれて「言語イメージが悪い」というのは、「不倫」さんにとってかわいそうです。

そもそも調べていないので「いつから」こういう言語が使われているか知りません。

けれど、この単語には「悪意が込められている」と感じます。

 

英語でいう「アフェア」ならば「情の事」という意味ですから、「事」でしかあり得ません。

 

しかし、「キリスト教(とくにカトリック)が禁じているので、キリスト教圏では、2人で生きることをバイブルに誓う」「欧米の結婚は明確な契約関係である」といったところから、「アフェア」が批判されてきました。

 

最近の欧米では、「優秀なDNAを残すために夫婦以外の遺伝子を使って子どもを作るために《アフェア》するひともいる」ようです。

 

またどの国でもいえることは、支配層にいるひとは「DNAを多く残すため」に、暗黙でアフェアを認めている社会風潮があるようです。

 

日本でも「昭和30年代までは、一人で生きられない女性をメカケにする」というひとは「甲斐性がある」と「尊敬されて」もいました。

新聞紙面の求人にも「妾(メカケ)求む」「愛人求む」と普通に乗っていました。(新聞のアーカイブをみたらわかります)

 

関西などでは「青年になった男子」が「お伊勢参り」と称して「筆おろし」するという「儀礼的な売春」もありました。(アフェアではありませんが)

 

また、「大奥」のように家系を残すためのシステムということで「正室」「側室」という制度が、昭和まで普通に《名家》などにはありました。

 

現代においては、「コミュニティはひろく」「スマホなどの出会いのキッカケもあり」「見つかりにくくなっている」ので、能動的なひとは「アフェア」をしやすいのです。

 

「理由も単なる下半身事情以上に心理的な問題が多い」と思います。

 

「両性ともに、親の愛を求めて、歳の離れた相手に《理想的親と錯覚して》アフェアする」というケースもあります。

 

また、

「異なるパターンのひとと関わってみたい」

「ソープや風俗に行くより安くつく」(実は高くつくけれど)

「パートナーでは(多くの意味で)満たされなくなった」

「お金目当て」「本当に下半身事情」「そもそも結婚にミスった」「仕事のストレスでドーパミンやセロトニン放出を脳が求める」「そもそもDNA的にそっち好き」などなど、

要因はさまざまでしょう!

 

生物としては「DNAを残す」という「本能的事情」もあるようです。

 

ただ「人間」の特殊性から「アフェア」における「人間関係の変化」や「子どもが誰のDNAか不明瞭になる」などの個人の心情や社会的問題を生むので、暗黙に悪いことというルールのようになっていますが、

(仏教でもほぼこういう理由で戒律化された)

(また仏教では婚姻による「所有を認めない」という意味もあります)

 

社会事情やコミュニティの広さからしても、悪意なくそうなってしまうこともあるでしょう。

 

つまり「こういうこと(アフェア)の良し悪しは、パートナーとアフェアをした個人に内在することからの問題であるゆえに《民事》」なのです。

 

そういう意味では「弱者を救うための介入としてのアフェア」もあるでしょう。

 

ですから、現代においては「各々の事情」にキッカケや解決法はあるので、

「対機説法」でしか語れません。

「普遍的な解答はない」といえるでしょう。

 

単なる感情の問題のように思えることを「論理的にプロファイルする方が賢明」です。

 

ですから「あれもこれも《不倫》と否定するよりも、そこに内在する問題を解決しなければ、ルールだけで守れる時代ではない」といえます。

 

結果「不倫」について「善とも不善ともいえない」と思います。

 

ケースによって「事情が異なるから」なのです。

これは「この問題から逃げる」のではなく、この問題を正確に知って適切な対応をするためには重要な観点だと思うのです。

 

ですから「欧米」では「解決についてのカウンセリング」があるのです。

「占いや拝み屋さん」では解決しません。

つまり「情の問題は、論で解決する必要がある」のです。

 

また「最近はセックスに興味がない」というひとも多いので、パートナーから満たされないという「状況」から「アフェアする」ということもあるようです。

 

以上つらつら述べてみましたが、みなさんもいろいろな事情を抱えておられると思います。

 

ご参考にしてください‼️

 

ーーー

 

なお、「アフェア」で「傷つくひとも、したひと」も、

「不倫は悪いこと」という「プロパガンダ」が刷り込まれているともいえます。

 

「モノ」と比較するのも不適切かもしれませんが、

そもそも「所有」は実在しませんから「アフェア」も存在しません。

 

ですから「わたしのもの」が盗られたという意識は時代や地域によるので、

「泥棒に入られても、どうぞ持っていってください」と「普通に言った」というような事件が、昭和30年代の新聞記事には、いろんな面白いニュースが載っています‼️

 

ーーー

 

友人からの返信より

↓↓

 

中神 章生 さまへ

 深いですね😄👍

渋いですかね😃👍

 

芸能人や政治家さんは

大変ですよね❗

 まったく 取りあげるかちを感じないんですよ

 マスコミって 内

内で 済まなくさせちゃって

 そっとしとけばいいのにって

思います😄

 

事情って

誰にでも おこりうるかもだし😂

 中神さまにもですかも❓❗

 肯定をしているわけではありません😂

 

ーーー(以下わたし)

 

日本の報道は、ほぼ「時事通信や共同通信」が仕入れ先ですが、

日本人や韓国人は「情動」を好むので、「視聴率」のためにくだらない情動報道をします。

そこには「論はありません」から、視聴者のレベルがどんどん下がります。

 

いまの「芸人さんのお遊び」のような「バラエティを見て」なにになるのでしょう!

「クイズや飲食」ばかりで、マジ「平和ボケ」です。

 

だから、ほかの事情も含んでCMが減る。

さらに安上がりな内容のものができる。。

悪循環です。

 

せめてBBCやCNNぐらいを見ていれば、ニュースソースが「ロイター」だったりしますから、よほど論理的です。

 

30分に「どんな法案が出てる、どんなことが決まった」という重要報道や「海外でなにが起こっている」から「世界のウェザーまで」多くの内容が報道されます。

 

まぁ「情動報道」は90%ありません。

 

こんな「ロイター」すらくだらない!

という人がいるぐらいですから日本はどれだけ報道レベルが低いかということです。

 

またドラマも、日韓のものは「情動中心」ですからダラダラネチネチと見ててめんどくさくなります。

 

欧米のドラマがどれだけのスピード感で多次元であり、内容も「論理的」「科学的で、数学や物理学や化学の話」なんて普通に出てきます。

 

また製作者も大事にされていて、、

 

ドラマのエンドロールに「〇〇さんを追悼して」という表示が出て、、

「それって誰」と視聴者がググったら「運転手さん」だったり「目立つことのない「いちスタッフ」だったりします。

 

ここが面白いのは、わからないから「ググる」すると、そこにまた興味深い情報が載っていて、スタッフ事情やキャスト事情を含めて「製作側からの目線でもドラマを見られる」という深さがあります。

 

くだらない「CMまたぎさせて、つづきを引っ張る」なんてめんどくさいこともありません。

 

とにかく「日本のくだらないワイドショーでのキャスターの発言やコメンテーターの意見なんて、情動を煽るためだけにいるようなものです」から、、

 

意識レベルの高い人は「地デジなんか見ません」し、お金を払っても、海外ドラマやニュースを見る方が勉強になります。

 

日本のなんとかという作家が「ノーベル賞とれない」のは当たり前というぐらいのレベルですから、日本人は「世界レベルの報道やドラマ」によって世界標準を知る方が、いかに自分たちの意見のレベルも低いかということがわかります‼️

 

こんな書き方をすると「またまた嫌われそう」ですが、

「奥歯にものが挟まっていない」ので「歯に絹を着せずに書いておきます」が、これは重要なことだと思っています‼️

 

報道統制、報道規制のうえで「くだらないことに右往左往している平和ボケ状態」では、どんどん資質が落下することを憂いています。。

2020-02-16 00:56:00

友への I love you ❣️

量子物理学の父といわれる「シュレディンガー」は「妻との愛を数学で証明しようとした」けれど、それは不可能であった。

しかし、「妻と見つめあったとき」それが一致したと感じた。

という逸話があるらしい!

 

以前わたしは「慈悲の法則を求めて」という本にも書いたけれど、

「理数と文学は一致する」けれど「理数という揺らがないように思う定理も扱うひとによって揺らぐ」

 

「ひと」という「変数」は逃れられない。

「システム(構造)」が完璧でも「ヒューマン(人間)」がエラーを起こす可能性を考慮しなければならない。

 

けれど「システムや定理を考え出した」のもひとである。

 

《なぜ歴史の中で「ひと」は、理数を考え、文学を考えてきたのか?》

 

その自然現象が意味することはなんなのであろうか?

 

これを「仏教」でいえば「智慧と慈悲」という「知性、理性&感性、感情」のバランスが説かれている理由でもある。

 

《愛は勝つ》ということばが以前流行ったが「なんの根拠もない」と思える。

しかし、「知性と感性がちょうどいいバランスの上にある《愛》は勝つ」といえそうである。

 

また「なにに勝つのか」ということも、2人を基準とした「愛」は、

「何者にも脅かされない(おびやかされない)」ということであろう。

 

原子核のような状態かもしれない。

「無理に分裂をさせると大爆発を起こす」ほど、普通には引き裂けられない。

 

ここでいう「愛」は「慈悲」とも同じである。

「博愛も慈愛も何者にも脅かされない」といえるし、「智慧に基づく慈悲も脅かされない」といえる。

 

「わたし」は妻にそう感じているが、妻以外の「友愛」にもそれを感じている。

 

《理由はわからずとも、それはある》

 

いまだ「数字にも数学にも解決できない」というより「数学的にそれを考えた人がいない」というだけであろう。

 

《不安や怯えているひと》に言いたいのは、理数で証明できなくとも、「事実が証明している人間の深さを《慈愛》によって感じて欲しい」ということである。

 

「南无=認許」という定義もある。

あなたもわたしも《まず自然が認めている》から「人間愛」がはたらいて、

必ず認めてくれるひとはいる。

 

いや、すでに認められているのに気づいていないのかもしれない。

 

「人間不信」になる前に「自我不信」だといえる。

 

あなたの「自我を受け入れる《阿弥陀如来》というはたらきがある」が、これを「摂取不捨」という。

 

「そのままのあなたを尊い」といって「受け入れている《宇宙的はたらき》がある」ということである。

 

「自我のアタマであれこれ考えるより」自然に流されてみたらよくわかる。

 

《究極宇宙に愛されているのだ》

これほど「強い感覚を得られるように自然に流されてみよ」と「多くの先人」がいわれるのである。

 

「不安に怯える友へ」

わたしも「あなたを愛している」のである。

多くのひとに「I love you」と伝えていきたい❣️

2020-02-15 01:11:00

五念門の現代的行じかた❗️ステップ1

1、四十八願の一願を選んで読む。

2、どこでもいいから「静かな気持ちで座して、目を閉じてみる」。

3、読んだ内容をどのように解釈してもいいから「解釈した世界観」と「現実」を重ねて観る。

文章を忘れたら、読み返して繰り返す。

4、そして「その未来法」が天空から落ちてくるイメージをする。

5、目を開ける。

6、場所的に可能なら「おつとめ」をする。

 

これだけを日々やってみる。

こうしていると具体的に浄土と呼応している非日常の観察が、日常に現れる生き方が出来てくるだろう。

 

既存の浄土真宗的ではないけれど、「日々の聴聞」として行なう「五念門行」となるだろう‼️

2020-02-15 00:52:00

おつとめと教義の総論‼️

 以下の写真の文章は多くの含蓄を教えてくれます!

中央仏教学院の通信教育卒業生に配布される冊子です。

 

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