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2020-02-25 04:16:00

辛子色のアルバム❣️

ホンダのロードパルという「原チャ」を思い出した。

ゼンマイでエンジンをかける画期的な原チャで、

「ラッタッタのロードパル」というCMで時代を席巻した。

 

わたしの時代は、高校生でも16歳で原チャ免許を取って乗ることができた。

 

わたしは「花屋」でバイトして「ロードパル」を買った。

「忘れたくない思い出」のひとつだ。

 

「花屋」も知り合いのおっちゃんがやっていた。

わたしと友人を可愛がってくれたおっちゃんだった。

 

「お花の値段が分からないとき、自由につけてもいいよ!」

「これで昼メシ買いな!」って結構いい加減だったけど、

 

「重たい過去を背負っている優しさ」のあるひとだった。

いま鳥取に帰ると一緒にバイトしてた友人は、

「アキオは都会ズレしている」という。

 

人生の大半を関西で過ごして、たしかに「あの頃」を忘れかけていた。

わたしたちの世代は「青春」というキーワードで語られる世代である。

 

思いっきり「楽しくて、わかり合う喧嘩もして、夢を語って」という思い出が「心のなかに残って」いる。

 

今日同世代のひとと「ロードパル」の話しで盛り上がって、

あの頃を語っていた。

 

「忘れたくない出来事、忘れたくない友だち」を思い返していた。

 

わたしは、「5年ぐらいしたら鳥取に帰る」と友だちに言ったまま、

結果「38年」も帰っていない。

 

たまに帰ると「メイン通りの商店街」もシャッター通りになっている。

いまも「しゃんしゃん祭り」はあるのだろうか。。

 

「おっちゃん」になった友だちも、話しが合わなくて「心の距離を感じて」バカな自分がさらに「バカ」に思える。

 

けれど、あの時の「思い出は記憶から離れない」ままである。

故郷は「都会ズレ」したわたしを「あの頃」に呼び戻してくれる。

 

鳥取市の「学校の生徒たち」は今なお「黒髪」で、表情が純粋で、

人間性は、あの頃のままなのだ。

 

鳥取駅にいる生徒を見て、「この中学生のようなあの頃『初恋』をしてたなぁ。。」なんて「淡い恋心とそのひと」を思い出す。

 

「辛子色のアルバム」である。

意外にもわたしは「バラード」が好きなのは、「あの頃の純な気持ちを忘れたくない」からかもしれない。

 

「ふれあい」という歌もあった。

バラードというより「フォークソング」と言われた時代である。

 

しかし「バラード」なのだ。

わたしは「僧侶」という道を生きてきたので、

「お盆や正月」に帰省できなかった。

だから「同窓会」を知らない。

だから「多くの友だち」に、それ以降は会っていない。

 

いままで帰省するときは「家族や親族」に会うことが第一優先だったから、

むかしの友だちと「飲むこと」さえもほとんどなかった。

 

住んでいた家ももうない。

わたしの原風景は、友だちと「バカをやりまくった」自然の山と川と海、そして、、

「原チャ」で飛ばしていた「砂丘」だった。

 

山に入って遊び、山の中に「秘密基地」を作り、

山から流れ落ちる自然の水を飲む。

 

川で「魚」を釣る。

砂丘の砂浜で暴れて「海で泳ぐ」という恵まれた環境だった!

 

もう一度あの頃に戻ってみたい。

なんて「感傷的」ではないけれど、、

今日の原チャの話から「あのバカ丸出しの思い出」に浸った。

 

いまでも「バカ丸出し」の生き方を選んで「遊牧民」のような生活をしている。

「いつか、俺たちも青春を、むかし話にする日が来る。。」

 

そんな歌詞の通りである。

まさか本当に「そんな日が来るとは思ってもいなかった」けれど、

今日はむかし話を語り合った。

 

見た目は「都会ズレ」かもしれないけれど「魂」は「あの頃のまま」だと思っている。

「俺たちの旅」の旅のような「スピリッツ」である。

そう思う「バカなやつ」がわたしである。

 

「帰ろうかなぁ」鳥取に。。

 

 

ロードパル→https://www.honda.co.jp/50years-history/challenge/1976roadpal/page06.html