インフォメーション(日々更新中)
2019-08-07 18:57:00
聖職者‼️
仏教界において「わたしは52階位の51階位」です‼️
そう言い切って「煩悩法」を実質的な「さとりの法」に転じて生きる僧侶が増えることは、自覚する意味でも重要かもしれない。
わたしは「剣道〇〇段です」というひとと同じである。
そしてそういう生き方をするのである。
「世界宗教サミット」で「世界中の偉いお坊さん」がスゴイことを論じているのだろうなぁって思うひとが多いのか?
「坊主がなにをくだらんアピールしてるんだ」というひとが多いのか?
これは世界中の宗教者にいえることであるかもしれない。
「聖職者」である以上、
堂々と世に「教えと自らの生きようを声に出せる」のか?
お布施のことばかり考えるのなら、檀家やメンバーのことを考えることがなければ、聖職者とも「51階位」にいるともいえない。
わたしは、わたしの「アスペルガー要素」が、檀家をして「いらんこと」をしていると言わしめてしまったけれど、檀家さんのことは「常に考えて、いざとなったらさとりへ向かわしめる」というなかで生きている。
その試行錯誤のなかで、「間違いや怒られる」ことがあってもいいじゃないか‼️
52階位ではないのだから。。