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2019-09-28 03:00:00

「私には私の地獄がある」これはフリーアナウンサーの宇垣さんの言葉です。僕にも僕の地獄があります。孤独に立ち向かうのは辛いです。匿名でいいので皆さんの地獄とそれから立ち直れた経緯から勇気を頂けませんか?

地獄や不安から逃れることは、いまのままでは「ほぼムリ」といえます。

なぜなら「ある状態や現象」を「地獄という状態」だと定義しているのが、「あなた自身」だからです。

(地獄にあるという当事者が質問者さまという特定では書いていないので「あなた」と記述します)

よくあることをいえば、「地獄状態から逃れた」と思っても、「あなた」がまた違う環境に同じことを見てしまうから、

「定義の主体があなた自身である」ということです。

つまり「あなた」自身の「使用言語や思考パターン(プログラミング)を変える」必要があるということです。

親鸞は「たとえ地獄に行ってもなんにも後悔しない」といっていますが、この根拠は「地獄的な状態を地獄だと認識定義することが問題」である、

ということです。

近年は「寂しい」を「孤独という意味に置き換えて」悲しいこと、辛いこと、、

だと定義しますが、本来は「さとりを寂び(さび)」「静寂」といって、「理想的な状態」に定義されていました。

人間の脳は「ことばで状態を定義して、データ処理する」ので、「孤独=誰にも相手にされない」というような理解で、

脳がデータ処理をしていると考えられます。

ある時「東京の人に、関西では普通に話しているアドバイスをしたところ」聞き手が「オレさま発言」だ!

といいましたが、「この文言自体」がはじめて聞く言葉でした。

「聞き手」はそういってアドバイスを受け入れなかったということがあり、

結果「その人は何もできなかった」ということが、今これを書きつつ思い出されましたが、

こんな「くだらないことば」で、せっかくの情報を得られない状態に「自らを追い込む」という事例はたくさんあります。

国や社会が「流行らせることば」も同じで、「抜け出せないルールや文言を撒き散らかして」《ゴミ言語》がどれだけあるか。。

しかも「あなた」を苦しめる情報は、「この価値観は当然である」という錯覚から生み出されているとも考えられて、

「国民が国民による国民の集団催眠状態」で苦しめあっていることにも気づいていません。

「言霊(コトダマ)」ということばは、このような構造で脳が勝手に常識判断をして、データ処理することを「神秘として使う表現」といえます。

「脳は言語をコンピュータのコマンド」と同じ様に理解して処理します。

こういう観点からいえば、「地獄」という文言に「利用価値あるのか」というと、「現代においては《ない》」といえます。

一例ですが、現代で「食のバランス」など、「あれがいいこれは悪い」などと「情報に振り回され」ていますが、

昔の人が「五大栄養素」を理解して「食事」をしたか?。。極論「戦後」シベリアに抑留されたひとから聞きましたが「最後には《土》を食べていた」と仰っていました。

それでも生きて帰ってきた人はいます。

鎌倉時代の親鸞は「普通の人」ですが、90才まで生きました。

現代日本には、いろんな情報やことばが飛び交っていて、そのことばが「当然の常識」と思っていれば、脳はそのことばを「コマンド」だと思い込みます。

そして「自らをプレッシャーに追い込み、ストレスが過剰になり、いのちが縮まる」ということもあり得ます。

「あなた」がどういう状況を「地獄」と定義しているかわかりませんが、その状況には「糧となる内容や要素」もあり、じつは「どんな状態でも定義で糧(かて)に変わる」のです。

または、その状態を「どう考えて、どう切り抜けるか」は「知識と知恵」によりますから、「自分で考える」「無理なら話せるひと(専門家でなくてもいい)」に相談する。

その第一歩がこのQuoraへの問いなのかもしれません。

このように「ことば」について記述したのは「問い」が「地獄」ということばにテーマがあると受け取ったからなのですが、さまざまな観点がいくらでもあり、

とにかく「地獄はない」「地獄というコマンド」は「入力データのミスによる」とお伝えできればと思ったからです。

ご参考になれば幸いです。。