インフォメーション(日々更新中)

2019-10-17 01:47:00

どのような人に「なんて心がきれいなのだろう」という思いを抱きますか?

事実や真実から書きます。

「心がキレイ」を「どういう状態」に定義できるか、ブッダやシュレディンガーもいうように「確定できない」ので、

ひとりのひとの「ある状態」のみを見て「心がきれい」とは「確定的に」いえません。

ましてや「煩悩を滅すること」がない以上、「きれいであり続けること」も「確定的に」できません。

最悪なのは。。

「これこれの状態はきれいな心」ですという「定義や感性をもってしまうこと」です。

こういう定義をすると「排除」される「生命」が出てきます。

また「そうでなければならない」という「拘束力」が生まれて、

そうなれないひとを「苦しめる」ことになります。

「理想を裏返すと、拘束力が苦しめる」という「理想が反理想を生む」という矛盾に陥ります!