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2019-10-21 02:18:00
一子地について‼️
「一子地」を「ひとりご」といって、真宗では一般的に「親子の関係による子ども」という意味で使われますが、、
この「一子」の語源は、あくまでも限定的に「シャカとラゴラ」の親子関係におけることを指しており、各経典では「一子羅睺羅」と表現されることが多いのです。
シャカは「妻」と子どもである「ラゴラ」を残して出家し、ラゴラに「地獄の苦」を味わわせてついには「ラゴラ」は「さとりを得る」ことになりますが、、
ラゴラが「地獄の苦」のなかにいるときに、あえてシャカは手を差し伸べてはいません。
しかも「ラゴラ」ーはシャカの弟子として「仏教教団」に入ったため「世俗の親子の情」のなかに「ラゴラ」を置くことはなかったのです。
そういう意味では「法」は「あくまでも《教え》のなかに内在して」おり、直接「阿弥陀仏がなにかをしてくれる」ということはないのです。
「ラゴラ」も「師であるシャカの《教え》」からさとりを得たのであり、「シャカ」が息子だからといって「何かをした」ということではないのです。
「阿弥陀仏」がわたしたちを「一子のように哀れむ」という場合、あくまでもその「教え」をよりどころとせよという意味であると解釈する方が、より仏教として適切といえます。