インフォメーション(日々更新中)

2019-12-24 02:36:00

人類の起源と科学という仮説❗️

恐竜のほうが圧倒的に解明されてるに、最初の人類について考古学的証拠が少なすぎるのはなぜですか?

 

花田 健意 (ken i hanada), サンニチYBSグループ (1996-2015) での元 クリエイター

回答日木曜

最初にお断りしておきますが、これは私が最も恐れていた質問です。ですのでA2Aとは言いかねる言及にしかすぎません。その点はご了承ください。

 

最大のネックは弁証法的科学として立証できない要素が多すぎる。というよりも人類自体が進化の必然性と乖離している。またそれを認めることが学術的に成り立たない。考古学でも意図的にこの分野への研究を避けています。なぜなら調査・分析といった方法論では不可能だからです。説明できない空白を埋めることが出来なければ学問は立ち往生してしまいます。奇妙な表現ですがいまだ人類は円の面積を求めるために微細な方形の集積で行っているのです。必要なのは円周率です。円周率という概念を持たず、「まあ概ねこのぐらいで」というアバウトな「統計学的有意」によって多くの学問は成り立っているのです。

 

ホモ・サピエンスを除いた考古学はダーウィニズムで説明できます(実は肝要な部分をあえて無視するかたちでですが)。三葉虫やフズリナが世界に満ち、肺魚が陸に上がり捕食や生存のために鳥が空を飛び恐竜が生まれる(しかしそれら進化のトリガーとなった生物が絶滅している理由もまた「無視」の対象ですが)。そういった適者生存は進化論で証明できます(というか「進化論」が証明されるのですが)。

 

「考古学的証拠が少なすぎる」。実はこれがある意味回答なのです。「考古学ではない」証明でもあります。ダーウィニズムとは全く無縁のものである証左でもあります。ですから学問的・弁証法的科学とは異なる分野での「仮説」は「小説・フィクション」というかたちで多く言明されています。代表的なのはJP・ホーガンの「星を継ぐもの」でしょう。

 

「星を継ぐもの」は、とある発見をめぐって徹底的なダーウィニズムの権威たる学者が次々に解明される「事実」によってその根幹たるダーウィニズムを否定するに至る物語です。本物の学問とは自らの絶対的信条であっても弁証法的に論破されるならそれを認めるほかはなくなります。地動説がその好例ではないでしょうか。

 

だからといって諦めてしまうほど人類はお人好しではありません。ではどうしたらいいのか。それはある意味シンプルなものです。回答は「生物を一から作ってしまえばいい」。それが現在もあらゆる分野で同時進行している「AL」(Artificial Life)です。

 

ただし、「AL」に必要なのは記憶RNAとの共存関係にあるタンパク質の「折りたたみ」一回で動作するソフトウェアが必須です。タンパク質の「折りたたみ速度」とはおよそ10フェムト秒(1フェムト秒は10のマイナス15乗分の1秒)です。生物のクロックは桁外れに高速なのです。加えて論理解析として最低でもセル・オートマトン/クラス4をクリアしなくてはなりません。最低でも多くの生物のマクロ・ハードウエアとミクロ・ハードウエアを連結動作させている「メタ回路」の実装が必要です。それらが可能になった時、レイ・カーツワイルの予言である「シンギュラリティ」(彼が唱えているものとは異なるAL以後の現象)が可能になります。

 

実は人間が行っている探求という名の行動はたった三つの質問に答えるためだけのものです。

 

「我々はどこから来たのか。我々は何者なのか。我々はどこへ行くのか」

 

乱筆長文失礼。