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2020-01-28 18:52:00
木仏点検とホンモノニセモノ‼️
ある問いから!
「像」は「似せたもの」という意味で「形にしたもの」という意味があるのはご存知でしょう。
「偽物」と「似せたもの」ではニュアンスが違いますが、同じことといえますから「レプリカ」でも同じといっていいと思います。
ただし「ホンモノ」は、「こころを動かします」から、、
「ニセモノ」でも心が動けば「精巧な贋作」といえるかも知れません。
「荒っぽいニセモノ」でも、物によっては「すごいね」とわたしもいいそうですが、、
「本山がホンモノ」といっても、それは「像」でしかありませんから「法」といえるかどうかは「見るひとによる」といえるのではないでしょうか。。
「月の石」もニセモノという説がありますが、「精密な分析もなく」ホンモノかニセモノかを論じても意味がないほど、、
「知らない世界や物事が多い」と気づいて「知ろうとする」ことが重要かと思います。
御本尊について「日蓮正宗あたり」が「ホンモノニセモノ」にこだわるような、そもそも「形あるホンモノ」はないのですから、わたしも「なんでもいい」と思います。
「南无阿弥陀仏」を称えている姿(相)も、現代人に「気持ち悪い」と思わせるような姿でしかないならば、残念ながら「ニセモノ」なのでしょう。
「体、相、用」の「相」という姿ではないのでしょう。
むかし「土井和上」という「お西の勧学さん」がいました。
この方の相(姿)には「素人さんが見ても言葉が出ない感動」がありました。
仏像は「レプリカ」でいい❗️
かえってその方が「偶像にならない」ともいえます。
とはいえ、『芸術レベルのアート』はレプリカでは出せない「スピリチュアル」がある。
そういう意味で「ペルシャのもの」にホンモノを感じないまま「すごいね」といっていたなら、、
「知らないことがまだまだあるね」という「無学」(学ぶことがない)へはほど遠いことについての学びであると、そこに「功徳荘厳を観察」したなら、意味はあるでしょう。
小さくても但し書きがある以上、展示側の詐欺ともいえません。
そこが問題ならば「いまのテレビCM」なんて詐欺だらけなのですから。。
つまり「観る側の資質」や「教化は如何」ということもポイントになると思います‼️