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2020-02-04 00:25:00
歎異抄が受けた理由から‼️
嫌われるけど書いておきます。
歎異抄が受けたのは「ロジックにあるレトリック(論理のような美辞、修辞)」が受けたんです。
「善人より悪人が往生する」「地獄は一定」「法然にすかされても」
「父母の孝養のためではない」と言った、
世間の「常識を超えたレトリック(巧みな論法)」が受けたというだけで、
じつは論理や定義はあいまいです。
その点は教行証文類でなければ定義できないことが多いのに、
教行証文類を学ぼうとしないひとが多いのは、
「定義がない方が自説を語れる」「定義を読み解けない」という、
横着な姿勢にあります。
また「親鸞さんのあれこれの書き物の部分を適当に並べて」、、
「自説を構築する」ためには「教行証文類」のみによるよりも、
「唯信抄文類にはこうある、和讃にはこうある。。」という方が「自説を宗祖の教えとして語れる」という「自己主張に利用できる」のです。
あくまでも「教行証文類全体(すべて)にある定義を仏教学から読み解いて、真摯に学びレトリックを使わないで論じること」がなければ「真宗は消滅」するでしょう。。
「阿弥陀如来の世界観」と「阿弥陀如来さまの世界」では定義する内容が変化します。
こういうことを読み解けないと「あいまいな学」になります。
こういう点を「文学のあいまいさ」と「理数系」から言われますが、
「文学」にも明確な定義があって「社会への生産性や有用性はある」のです。
そういう緻密さが、親鸞さんにはあるのです‼️