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2020-06-20 21:14:00

個人と社会‼️

社会のため、国のために犠牲になるか。。

個人を尊重して、社会保障を徹底するか。。

 

個人が大事か、全体(社会)を大事にするか?

 

よくある問いでしょう。

 

家族や町内すら、ひとが複数いれば「全体」となるかもしれません。

「妻が大事か、親が大事か?」なんていう問いもありますよね。。

 

全体を見ると「ルールだの契約だの」といったことが出てきます。

夫婦ですら契約をするひともあるようですし、社会にはそういう「決めごと」が必要なのかもしれません。

 

そういう点で、「政治」はそういう部分を担うのでしょう。

 

しかしながら、沢山の社会ルールのなかで、いろんなひとがいて、ルールの世界だけではどうにもならない「個人の問題」があります。

 

そこを担っていくのが「宗教、思想、哲学」という「理念」といった思考の世界ではないかと思うのです。

 

「そういったものに頼らない」というひとが日本にはおられます。

そういうかたには、是非とも「なにかの叡智」に触れていただけたらと思うのです。

 

「長年培われた叡智」には「個人にとって利益になる内容が深くて多い」ものです。

 

全体的な「社会」に取り組むにせよ、そういう叡智があってこそ、より良い社会が実現するでしょう。

 

「社会のために個人が犠牲になる」

「個人の身勝手が社会を崩す」

 

そういったことをより軽減するには、本能や情報や、まして「意味不明な伝統」ということだけで個人が生きていても、社会は愚かになる一方でしょう。

 

また、政治による社会が愚かであれば、個人も愚かになるでしょう。

 

そういう意味で、「個人を担う〈宗教者など〉」は確かな叡智を学び実践することは大切なことでしょう。

 

また「社会を担う〈政治家〉」も叡智の中で全体を見ていくプロであることを追求すべきでしょう。

 

またすべてのひとがこういった「叡智を学ぶこと」を普通に行うことが、この理想の実現に大切なことだと思うのです。

 

これを「理想」と言わなくてもいい状況になることを願って、日々の精進を重ねています。