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2020-06-24 05:04:00
ダライ・ラマを論破してください❗️
議論(ディベート)は知識の量ではなく、あいての「論理をどう崩して、自己の論を立てるか」ということなので、
相手の専門知識がなくても「勝つこと」はできます。
「小泉元総理」がこの部分において天才的だったといえます。
たとえば「あなたは〇〇で苦しむひとをどうするのか?」と聞かれて、
そのことを知らなくても、逆に「あなたはこの問いをわたしに回答せよというが、あなたはどうするのか?」といった返しをして、
問題の本質を探りながら、自説をその場で構築したらいい」のです。
しかし、こういった討議が「なにかを生むこと」がなければ無意味なお遊びになります。
ダライラマだろうが誰だろうが、そもそも「国の常識や相手の背景における常識が違えば」大概の場合「並行線」で終わります。
そういう意味において、「思考基盤が同じ」「同じ目標への議論」でなければ「戯論(戯れの議論)」で終わり、なにも生み出しません。
ダライラマに「赤ちゃんの時に勝手に次の指導者なんて親から引き離すことは許されますか?」と議論しても、
「そういう国だから」で終わります。
さらに「そういう国でいいんですか?」と問い詰めても、そういう国だから仕方がないのです。
もしそういう制度を変えたければ、「政治的」に持っていくしかないのですから。。