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2020-07-20 19:14:00

時短は寿短‼️

【旅と旅行】(わたしの大事な友人へ)

 

「人生は旅」と言われる。

現代は、時間の動きが「スピード」を増している。

 

「特急列車」は効率も良く目的地で「やりたいこと」ができる。

けれど、そんなに急いで目的地に到達して「やりたいこと」に意味があるだろうか。。

 

目的地へ急ぎながら「いのちを削るようにハイスピード列車に乗る」ことは、「危険」だといえなくはないだろうか。。

 

以前わたしは「新幹線」で東京へ行く途中「意識不明」になって「ぶっ倒れた」けれど、「高速」ならではの「重力や車内電磁波」はかなりなものだということであった。

(それらが原因で倒れるひとが少なからずおられると聞いた)

 

はやく目的地に着くとしても、東京でやりたいことができるにしても、「時間」をプレッシャーやストレスにすべきではないと思う。

 

わたしは、滋賀から大阪に行く時も、、

新快速で50分ほど、、

快速で1時間10分ぐらいだから、わたしは「すいているゆっくりできる」から「快速」に乗る。。

 

時間が短縮できても、その「やりたいこと」に意味はあるのか。。

目の前に「やりたいこと」はないのか。。

「やるべきこと」はそこなのか。。

 

「世界旅行」をして得るものはなんなのか。。

「国内にも目を見張るところ」はたくさんある。

 

「旅行」で「あえて冷凍カニを食べる」なら。。

「近郊」で「まともなカニ」を食べる方が「費用対効果」はある。

 

「旅」は目的地を持たない。

ふらふら見る景色に得るものはないのか。。

その風景は「いつでも見られる」のか。。

 

「いまそこ」だから味わえることを「時短」は見えなくする。

「時間に余裕ができても見えなくなる」のである。

 

脳が「スピード列車」に慣れてしまうと、目の前の大事なものごとが生涯見えなくなる。

決められた「旅程」以外の「旅行」に慣れると、「本当にそこに行きたかったのか」という「自分さえも見失う」ことになる。

 

いろいろな情報に振り回されて、そこで「やりたいことができる」と思って急いで行ってみたら「こんなもんか」と思うことの方が、実は多いけれど、「こんなもん」を認めたくないから「楽しかった」と「自分を騙すようになっていく」ことが多いものである。

 

そうやって「自分を騙すことがつね」になると「後回しにしてきたことの大切さ」さえも見えなくなる。

 

「旅」は「道端の花」がどうして「ガンガンクルマの走る中で咲けるのか」といった「美だけではないこと」をも教えてくれる。

「生命の本質」である。

 

「旅」はいのちや自然のあり方を教えてくれる。

 

もちろん、旅行であれ旅であれ、モチベーションによるけれど、少なくとも「旅程」ぐらいは、自分で組むようにし、目的地で得るものは「重要かどうか」という「思考」がなければ、少しでも多くのいのちを「削る」か「輝かせるか」という違いを生むであろう。

 

現代や政情において「このままではいけない」と「煽られることはない」と心配をしている。。