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2020-09-09 01:45:00

営業念仏‼️

歎異抄は、「ひとが助かること以外に人生はない」というのが「ブッダ的」だと思います(≧∀≦)←この顔しかバリエーションがありませんhaha!

 

ただ「四、五条」なかでも「五条」のラストの「まず有縁を度す」という、限定(限界)を示す文言からも「現生の大乗菩薩道」で定義しないと、絵空事になると思います。

 

また「四条」にある「今生」を「心命終」以前の自我状態のわたしが大概もつ「世俗のいとおし、不便と思う、自我執によるあわれみ」は「存知のごとくたすけがたければ」ということになるでしょう。

 

そもそも「ここでいう助ける」の定義を「世俗定義」で読むとおかしくなります。

 

仏教でいう助けるは「さとらせる定義」なので、

 

「仏教はさとらす《利他が重要》だと定義をご存知だと思うから、いくら人知で憐れんでも、さとらすには、浄土の慈悲(仏智)をともに目指すこと」です。

と読んで。。

 

「いま、ひとが助かる(さとり、一如に向かう)こと」が「サンガ」の一如、和合を作ることである。

 

というように読む方がいいと思います。

 

 

事実「ユ●●フ」なんかで「チャイルドスポンサー」の募集広告がありますが、

なぜ「特定の地域なのか」というようなこと、

 

「ほんとうにそこへお金が行くのか?」というようなことについて問いを持たない、

 

「お人好し日本人」に向かってならではの「集金システム」なのか、なんて「疑問を持たない」からこそ、

 

資料の「スーダン」の写真を見て思わず「祈り」を捧げるキリスト教のひとなどは、世界的な視野を持って、こういうことには「敏感なひとが多く、できることをして」います。

 

本願寺派の僧侶は「食べものを恵まれました」だから「感謝しましょう」という、意識レベルだから、こういう世界情勢を「観光バスのなかで弁当食べながら見物している」というほどの意識レベルだと思っています。

 

これも「内なる崩壊(法難)」「情報と資本主義の混沌(カオス)」だと思っています‼️