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2020-09-16 04:10:00
敢えて個人名を記しませんが人の為に命を注いだ歴史的偉人たちは常に市民と同じ高さから世界を見たから信念を貫けたと思いますか?彼らも上に登っていたら、金欲と権力に染まったでしょうか?
日本のように「幸せで恵まれすぎた国」を生きていると、どうしても「意識レベル」を高く保つことが難しいようです。
つまりなんの「思想や哲学」もなく、生きることは「生活保護」もあり、ほぼ保証されているうえ、次々と欲求は満たされていくというなかで、
「自分はそうではないように思ったり」「生きる意味が見出せず、自己の尊厳が得られない」と嘆くという矛盾を生み出しているのですから、
不思議な国民です。
「隣の芝生は青いと思っている国民」といえるでしょう。
そこでわたしは「歴史的偉人」が有名なひとに限定はされないとは思うけれど、知られていないひとであっても「ほんとうの偉人」は、
市民目線ではない「高い意識レベル」から、「多数派の市民目線」を尊厳目線から観るようにしながら、さらに意識レベルを引き上げて、
より「より多くの人が、すべての目線に尊厳を持てるよう」にするために、生きたひとだといえるので、
そういったひとは「お金や権力には染まらない」ものです。
よく「お坊さん」はチョイとお経をあげるだけで「高いお布施」をもらうねんから、よ〜儲かりますやろ。。
なんていうことをいうひとがいますが、そういう次元にいる限り、そのひとは「市民目線」よりも低いところにいると思います。
そういったかたが見えている目線について、尊厳目線から、そのひとが「そうではない」という目線になられたら、
もっと広大な気持ちで生きられるのに。。
と尊厳目線から、そんなもんではないという次元世界になられたら、日本人の矛盾した世界観を脱出できるのにと思うのです。
こういう風にいうと「上から目線」とすぐにいうひとが多いのも、巷で言われる「ひがみ民族」ということなのかもしれません。
「的確に、価値観や世界観は単一ではないこと」を認識すべきだと思います。