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2019-06-15 13:28:00

真宗と景教(古代中国キリスト教)

お西のお話し(教え)が、「景教」と同じと言われる理由。

景教を知ってて、お西のいまの主流のお話を聞けば、当然そう思えます。

 

キリストは、「人間の原罪を引き受けて《アガペー(博愛》の愛をもって、人間を楽園(天国)に救います」そこで「カトリックは司祭を重んじますが、プロテスタントは、《信じること》を重んじます」

カトリックは「神父」プロテスタントは「牧師」

 

神を「アーメン(その通り)」と受け入れて」「信心の中で神の愛を受け入れて生きる」

その日常は「神を讃美歌」のように「讃美して」生きる。

 

たしかに「神にはなれない」けれど、「眷属」になれる。

 

プロテスタントには、ユダヤ教やカトリック教(そもそもカトリックはキリストの弟子ペテロが作った)のように、

「厳格な裁き」はない。

「生まれによって天国に行けるかどうかも決まってない」

(生まれによってバラモンではない、ということと似てる)

 

ただ、「信心(信仰)による」というので、特別な戒律はない。

 

ただ「信心によって、永遠の楽園に救われる」というのだから、

「真宗」は「景教(中国におけるキリスト教」だと言われることが意外に多いんです。

 

西本願寺に「世尊布施論(キリストの愛について書かれた書)」がほんとうにあるのか?

昭和時代に本願寺は「あると認めている」ようだけれど。。

 

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これだけ読めば「真宗は景教となにが違うのか」と「主流派の話を聞けば」《景教の存在を知ってれば》誰しも思うでしょうね❣️