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2019-06-15 19:30:00

世界を救っていた浄土景教(真宗)⁉️

Wikipedia引用から

明治末に来日したアジア研究家の英国人であるE・A・ゴードン夫人は、真言宗と景教の関連性を確信し、高野山に中国・西安(長安)にあった景教の記念碑「大秦景教流行中国碑」のレプリカを建立した。この記念碑は、今も高野山に現存している(夫人の墓もその隣りにある)。空海は中国で景教についても学んだとされる[8]。

 

浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺には、景教の聖書の一部(マタイによる福音書の「山上の垂訓」を中心とした部分)の漢訳である『世尊布施論』が所蔵されており、この事実を以て、親鸞が景教に学んだとする説を唱える者もいる[9]。

 

山梨県甲州市大和町木賊の栖雲寺(せいうんじ)所蔵の「十字架捧持マニ像」(元代)は寺伝では虚空蔵菩薩像とされているが、十字架が描かれており、景教との関連が指摘されており[10][11]、アメリカのメトロポリタン美術館でも展示された[12]。しかし研究の進展により、本画像と他のマニ教絵画と図像が一致することが確認され、栖雲寺本はマニ像の可能性が高い[13]。

 

以上Wikipediaから拝借していますが、西本願寺に世尊布施論があると記述されています。

 

http://gakkenmu.jp/column/11665/

「ムー」なので信憑性は疑問ですが。。

 

https://quasimoto2.exblog.jp/23524468/

この方は100%キリスト教と言っています。

 

http://echo-lab.ddo.jp/Libraries/真宗研究/真宗研究55号/真宗研究55号%E3%80%80006森田眞円「唐初の景教と善導大師」.pdf

「善導と景教」

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1157337116

には「京都の西本願寺には宝物中に「世尊布施論」という景教(漢文のキリスト教)の経典が置いてあると聞きます。

なんでも、親鸞自身が読んで学んだとか。

そして「大秦景教流行中国碑」では、景教は真宗とも呼ばれていると記してあります。

 

さて、南無の語源であるナマスは心底信じて身も心も委ねますの意

これが「主の御名を呼び求めるものは誰でも救われる」(使徒の働き二・二一)とシンクロし

 

阿弥陀の語源であるアミターバアミターユースは無量光無量寿で無限の光と永遠の命の意です。

これは「この方に命があった。この命は人の光であった」(ヨハネの福音書一章四節)とシンクロします。

 

親鸞で不満でしたら法然でも補足しますが、法然の母は秦氏です。

そして法然の師である善導は、『景教徒が中国で熱心に布教していた時期に』

中国で浄土教を大成させた人です。

 

つまり浄土真宗は善導⇒法然⇒親鸞と一連で伝わってきた

原始仏教とは明らかに一線を画する、南無阿弥陀仏と

『唱えるだけで』救われる御縋り宗教というわけです。

 

https://ameblo.jp/kisa-rino/entry-10806323541.html

https://ameblo.jp/kisa-rino/entry-10810526905.html

東洋に伝わったキリスト教である景教について書かれた「大秦景教流行中国碑」、そのレプリカが高野山に存在します。

なぜ日本の密教の聖地にキリスト教の碑文が……と思うかもしれませんが、事実です。

 

実際に、高野山でも西本願寺でも、景教の教典が読まれているのは事実だったようです。

つまり、親鸞は、確実に景教──キリスト教の内容を知っていた訳ですね。

 

ただし、浄土真宗がキリスト教的性格なことを親鸞一人に求めるのは厳しい、と考えます。

むしろ、それ以前から、日本へ渡った仏教は景教の影響を受けており、その素地が既にととのっていた、と見るべき。

 

ちなみに、韓国の慶州(キョンジュ:日本でいうところの、奈良っぽい場所)の仏国寺でも、仏典にまじって景教の教典も発見されています。

 

ちなみに、密教で信者になったしるしとして行う「灌頂」は、頭に水滴を三度そそぐ儀式ですが、これはキリスト教の「滴礼式の洗礼」と似ています。

 

密教儀式の最初に十字を切る動作をするのも、キリスト教に似ています。(それ以前には、仏教にはなかった動作)

宗教混合の天才と呼ばれた空海なら、さもありなん。

 

などなどたくさんあります。

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「以下私文」

親鸞が、関東に行った理由に、鎌倉時代を迎えて「最新の情報がある」という理由があったか?

 

そのなかで「景教」と出会ったのか?

上記の引用にある「善導」然り、法然の親が「景教」大秦寺系を思わせる「秦氏」であるなら、法然を通して「景教」に出会ったか?

 

なぜか、「信文類」だけは、構造が「キリスト教」と重なる。

 

親鸞は、「教行証」の「仏教」と、「信文類」の「景教」をダブらせて、「浄土景教(真宗)」と言いたかったのか?

 

前者は「帰命尽十方無碍光如来」で、後者は「南无阿弥陀仏」として「光明定義」したのは、「景教」という文言が、「光の信仰(教え)」を意味していたからなのか?

 

景教は「ネストリウス派」という「キリストの人格性」を重視する派だったため、その人格を「阿弥陀如来像」であらわしたために「十字架」はないということなのか?

 

東洋の「完全な仏教」と、シルクロードを経て来た、西洋の「キリスト教」をダブルスタンダードで説いたのか?

 

【ポイント】

わたしがいまこのことを取り上げているのは、「世の中」が、

「キリスト教やユダヤ」が主流になっていくなかで、

もし、このことが「事実であれ不明確であれ」浄土真宗が「世界的な宗教」として「交流できる可能性」と「世界交流できないと生き残れない」なかで、格好の話題である。

ということです。

 

また「主流派がいう」「名号のひとりばたらき」がじつは「キリスト教」として「世界を救っていた」と言えれば、

「光明」→「名号」→「神(GOD)」→「阿弥陀仏」→「自然」→「宇宙」→「物理学」(科学)という「大いなる宗教的源流」とも言えます。

「本地垂迹説」なんていう「小さい話」ではありません‼️

「世界的源流」です❣️

 

【そして】「とはいえ」→「教行証」は捨てていない。

スゴイ「教え」ということでもあります‼️

 

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