インフォメーション(日々更新中)

2019-07-07 16:04:00

はじめにことばがあった❣️(ここから以前の3回分をひとまとめに読んでください)

創世記 1章1-8節(口語訳聖書)

1 はじめに神は天と地とを創造された。 

2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 

3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。

4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。

5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。

6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。そのようになった。

7 神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。

8 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。

ーーーーー

  • 1日目 をつくられた(つまり、宇宙と地球を最初に創造した)。暗闇がある中、をつくり、ができられた。
  • 2日目 神は)をつくられた。
  • 3日目 神は大地を作り、が生まれ、地に植物をはえさせられた。
  • 4日目 神は太陽をつくられた。
  • 5日目 神はをつくられた。
  • 6日目 神は家畜をつくり、神に似せたをつくられた。
  • 7日目 神はお休みになった。

ーーーーー

「初めに言があった」。この「はじめ」とはいつのことを指すのでしょうか?多くの人は、聖書全体の出だしにある創世記1章1節の聖句「初めに、神は天地を創造された」を思い起こすでしょう。神が天地を創造された太古の大昔のことが「はじめ」であると。しかし、実はそうではないのです。ヨハネ福音書の出だしにある「はじめ」とは、天地が創造される時ではなくてその前のこと、まだ時間が始まっていない状態のことを指すのです。時間というのは、天地が創造されてから刻み始めました。それで、創造の前の、時間が始まる前の状態というのは、はじめと終わりがない永遠の状態のところです。時間をずっとずっと過去に遡って行って、ついに時間の出発点にたどり着いたら、今度はそれを通り越してみると、そこにはもう果てしない永遠のところがあって、そこに「ことば」と称される神のひとり子がいたのです。とても気が遠くなるような話です。説教題の「はじめにことばありき」の「はじめ」を漢字にしなかったのですが、どうしてかと言うと、漢字にすると、何かが始まる時の初めというように意味を狭めてしまうのではないか、本当はその前のことなのに。それでひらがなにとどめた次第です。(略)

 

旧約聖書のどんな伝統が、イエス様をロゴスと呼ぶに相応しいと思わせたかというと、それは箴言の中に登場する「神の知恵」です。箴言の8章22-31節をみると、この「知恵」は実に人格を持ったものとして登場し、まさに天地創造の前の永遠のところに既に父なるみ神のところにいて、天地創造の時にも父と同席していたことが言われています。同席だけではありません。ヨハネ福音書の1章3節をみると、「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」と言われています。つまり、ひとり子も父と一緒に創造の業を行ったのです。どうやってか?創世記の天地創造の出来事はどのようにして起こったかを思い出してみましょう。「神は言われた。『光あれ。』こうして光があった(創世記1章3節)」。つまり、神が言葉を発すると、光からはじまって天も地も太陽も月も星も海も植物も動物も人間も次々と出来てくる。このように、ひとり子は神の言葉の側面を持つと考えれば、彼も天地創造になくてはならないアクターだったことがわかります。先にも見たように、ロゴスは直接的には「言葉」という意味を持ちますから、ひとり子をロゴスと呼ぶことで彼が創造の役割を果たす「神の言葉」であることも示せます。(略)

 

このようにひとり子は「神の知恵」、「神の言葉」であり、彼は天地創造の前から父なるみ神と共にいて、父と一緒に創造の業を成し遂げられました。実はイエス様はこの地上で活動されていた時、自分のことをまさに「神の知恵」であるとおっしゃっていたのです。(略)

 

箴言8章をみると「神の知恵」は「生み出された」と言われています(24、25節、ヘブライ語חיל )。「生み出された」と言うと、ひとり子も私たちと同じように何か造られた感じがします。私たち人間も生まれるのだし、そもそも人間は神に造られたものですから。さらに箴言8章22節を見ると、「神の知恵」である「わたし」、つまりひとり子も父なるみ神に「造られた」と書いてあります。神のひとり子も被造物なのでしょうか?

これはよく注意してみなければなりません。まず、箴言8章22節の「造られた」のヘブライ語の元の動詞(קנה)は、創世記1章1節の「神は天地を創造された」の「創造された」(ברא)と異なる動詞を使っているので、造りは造りでも何か質的に違うものだということに気づきます。そこで、箴言8章をよく見ると、神の知恵が「造られた」のは、天地創造の前に起きたことが強調されています。つまり時間が始まる前の永遠のところでひとり子は「造られた」のです。

 

「生み出される」についても同じです。確かに神に造られた被造物である私たち人間も「生まれる」のですが、「神の知恵」「神の言葉」であるひとり子が「生み出される」というのと全然事柄が違います。人間や動物の場合は、天地創造の時に造られて、被造物の生殖を通して被造物として「生まれ」ます。

 

(以上出典→日本福音ルーテル教会  スオミ キリスト教会(スオミキリスト教会は、フィンランドのルター派国教会の公認ミッション団体「フィンランド・ルーテル福音協会」が1990年に建て、日本福音ルーテル教会に所属する教会です。「スオミ」というのは、フィンランド語で「フィンランド」を意味します。)

https://www.suomikyoukai.org/?p=13571

ーーーーー

このような「バイブル」のストーリーを「阿弥陀如来」のストーリーとあわせてみると、

時間を「宇宙(天地創造)の始まり(ビックバン)」《以前の時間までさかのぼって》「そこにことばがあった」

っていうのは、《時間》で言えば、「十劫」や「曠劫より。。」「無始より。。」などという「言説」に符合します。

 

「ことばがあった」は、「仏教で《無色無形絶言》の世界を《俗諦言説》で定義する」ことと同じです!(ここで「ひとりご」という真宗の「一子地」と同じ表現が使われています)

 

また、心理学や脳科学など、いろんな科学が言っているように、

「脳は、言語(ことば)で現実を組み立てている」ということと符合します。

「人間にとっての《現実》は《ことば》に依存」しています。

わたしたちは日常言語で「自己が無意識」に定義している「ことば」で「ことがら」を認識して「思考」が動いています。

 

日本語で「おまえになんでオマエって言われなあかんねん!」なんて、

英語なら「youになんでyouっていわれなあかんねん」なんてありえない!

このようなやりとりは「日本語ならではの世界観」です。

 

わたしたちは「自然に《ほぼあいまいな定義語》」で、《無意識》に日常の現実を組み立てています。

そういう点でも、じつは「それぞれが認識している現実は違う」ということになります‼️

 

あなたと家族が同じ家にいても「言語定義」が違えば「別世界」を生きていることになります。

 

そこで量子物理学の「不確定性原理」や相対性理論の「次元論」などの観点からも同じように「人はみな違う世界を生きている」ということになります!

 

しかし、この「言語定義」を「明確にして共有する」と、同じ「世界観」が見えてきます!

そこで「無色無形絶言」の世界を「ことば」が定義するから、言語で「創世」されていくのでしょう!

だから、「家族が同じ言語定義」を生きる上で「宗教は重要な《言語定義システム》」です!

 

とはいえ言語が違っていても「違うことばで同じことを定義している」というケースが「仏教とキリスト教」に観えてきます!

 

1、はじめに神は天と地とを創造された。っていうふうに、

《ことば》で《世界観》が作られていきます。

 

そして、3、神は「光あれ」と言われた。すると光があった。

これが「真の仏土は光明である」という「光明」定義で、それは「智慧」を意味する!

という「同じことを定義」しているようです!

 

「無明長夜」という表現も同じ内容で「解釈」できます!

 

有名な、「アダムとイブ(エバ)」について。。

Adamという語は、ヘブライ語で「地面」を意味するadamah(アダーマー)という語の男性形である。この言葉は同時に「人間」(アーダーム)という意味も持つ[3]、かつては個人の名前ではなく全体を表す一般的な名詞として使われていた。創世記でも第1章ではこの言葉は普通名詞として使われているが、第2章、第3章では普通名詞と固有名詞のどちらの意味でも使われているが、第4章25節、第5章3節以前での使用例では本当に個人名として使われているのか疑わしい。実際英語では第2,3章で明らかに個人を表す時はAdamの代わりにthe manという言葉が使われており、前置詞を伴わない用例は見られない。

また、

アダムとエバアダムとイブ)は、旧約聖書創世記』に記された、最初の人間である。天地創造の終わりにヤハウェによって創造されたとされる[1]

なお、アダムאָדָם)とはヘブライ語で「土」「人間」の2つの意味を持つ言葉に由来しており、エバはヘブライ語でハヴァחַוָּה)といい「生きる者」または「生命」の意味である。このエバ、エヴァ、或いはイヴ、イブ(Eve に由来する)という読みはΕυάエウア)に由来する。本項では新共同訳聖書の表記にしたがって以下エバと表記する。 人類最古の文明を生み出したと言われているシュメル人が書き残した天地創造の物語がヘブライ語に翻訳されたと思われる。

という記述を見ると、ここにも「たんなるストーリー以上の智慧」があるようです‼️

 

仏教もバイブルも「ことば」に始まり「光明」で智慧を定義して、世界観を「功徳荘厳」と見る!

「功徳荘厳」は「神が創造した」ということと「言語で定義しようとする内容」は同じであると言ってもいいと言えそうです‼️