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2019-07-09 04:37:00

倶会一処その2 死後について❣️

以下はキリスト教の「死後」についての解説です。

Q:死ぬと、人の魂はどうなりますか。天国に行くのでしょうか。

A. 回答

A:これは、どなたにとっても非常に重要な質問です。信者と不信者の行き先は異なります。 

1 番目に、聖書的ではない考え方を紹介します。

①死んだら魂は消滅するというのは、聖書の教えではありません。死後も魂は生き続けます。②死後、魂は最後の裁きのときまで眠りに就くというのも、聖書的ではありません。③死ぬとすぐに神の裁きを受け、天国か地獄かのどちらかに送られるというのも、聖書の教えではありません。

2 番目に、信者の魂がどうなるかについて説明します。

①信者は神との平和を持っていますので、死ぬと、その魂は直ちに天に挙げられます。天とは、パラダイスと呼ばれるところで、キリストがそこにおられます。信者にとっての死は、  「肉体を離れて、主のみもとにいる」 (2コリ5:8)ことなのです。

②終わりの日に、信者は栄光の体に復活します。そのとき、信者の魂は復活の体と合体します。

③最後に信者は、復活の体を持って「新しい天と新しい地」に永遠に住まうようになります。

ーーー(引用以上)

この2番目の、内容は、「阿弥陀如来の眷属になる」という「布教現場でよく聞くストーリー」に酷似しているように思えます。

たしかに「浄土真宗」で、「魂」の概念はありません。

ただ、「報恩講私記」に、


   南無帰命頂礼尊重讃嘆祖師聖霊
【3】 第二に本願相応の徳を嘆ずといふは、念仏修行の人これ多しといへど

   南無帰命頂礼尊重讃嘆祖師聖霊
【4】 第三に滅後の徳を述すといふは、釈尊、教網を三界に覆ふ。なほ末世苦

         南無帰命頂礼尊重讃嘆祖師聖霊
   南無帰命頂礼大慈大悲釈迦善逝

 

などとあるため、「近年」に、「(入滅された)著名な真宗学の勧学さん」が、「霊」は使っていいんじゃないか!

といわれていたようです。

いずれにせよ、布教の現場で「死後、浄土に行ったら、阿弥陀如来と同じ(妙覚位)になる」といわず、

「菩薩(還相回向)」とか「諸仏などの眷属」になる。

というような布教が増えています。

また「浄土で会いましょう」「阿弥陀さまのみもと」「阿弥陀さまに抱かれて」なんていうことを、

平気でいっている布教者が多いようですが、

これだと「キリスト教」とイメージは同じですから、

「浄土」であれ「天国」であれ、結果「同じストーリー」になっています。

 

この辺は、仏教であれば「キッチリ」しなければいけない部分です!

「証文類」の講義部分に記述したように、「真如、法性」になる。

そこから「阿弥陀如来」と同じように「報、応、化」と如来する。

つまりは「滅度」(煩悩の滅は、五蘊の滅)で、そこから「自在に利他」るけれど、

「法蔵菩薩」の従果向因のように「還相回向の菩薩」にもなれる。

という「教義の抑えからズレて」は、仏教ではなくなります。

 

しかしこれは「方便則」です。

ここを「真実則」でいえば、「時間は過未現」であり、

「過去と未来が、更迭するところに現在がある」という「時間論」(補足5の148)や、

「教行証文類」の「真実則」からいえば、

「現生において因果同時」になりますから、「生死の別はない」ということになります。

 

ここまでに「キリスト教」と「仏教」の共通性を記述してきましたが、この「果」についての「結論」は変わります。

 

ここの深い部分を「牧師さん」に聞きたくて、近隣の「教会」へ行ったりしましたが、

「蒜山の牧師さんレベル」(次元)の方がいなくて、「お決まりごと」しかお話しいただけないので、

また「蒜山」へ伺いたいと思っているところです‼️

 

キリスト教は「パラダイス」、浄土真宗は「ピュアランド」といって見ても、違いを説明できないようでは「間違い」ます。

一般の方からいえば、「何が違うねん」となるでしょう‼️

この「A」は「全世界」を救うための「顕彰隠密の言説の違い」ということなのか⁉️

とも思っていますが。

 

いずれにせよ、布教の現場を見直すことがなければ、「キリスト教と同じ」「天国でもいいじゃないか」と言われても、仕方がありません❣️