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2019-07-26 01:06:00

生命について❣️

母の滅を目前にしているいま、動けなくなる直前まで母が個人的に通っていた「福音ルーテル教会」へ伺って、牧師さんから深い話をお聞きしました。

 

ーーー(以下は牧師さんとのやりとりから記述しているので、すべてが牧師さんのことばではありません)

 

仏教で煩悩と言っている「原罪」を作ったアダムとエバが食べた木の実が、「神のように善悪を知る実」であった。

 

つまり善悪を知る者になって「生と死と別れること」を知ってしまった。

アダムとエバは、私たちそのものであるという。

 

仏教でいう「虚妄分別」のことである。

 

そして「神の身」である、キリストを「人間によって十字架につけて殺させて」「復活した」から、「人間の生命は永遠」であるという事実‼️

 

あなたの生命も、わたしの生命もすべて「神による復活の身」であるといえる。

だから「わたしの意思」ではなく「神の意思」を祈りの中で聞く。

 

あなたの生命も、わたしの生命もすべて「如来により生まれかわった身」であるといえる。

だから「わたしの意思」ではなく「如来の意思」を憶念の中で聴聞する。

 

これを「自然」「神」「如来」という「無色無形絶言」の世界を聞くことと定義する。

 

しかし、「はじめに言葉があった」という聖書の記述のように、私たちが「現実を定義するのは言葉による」から、

「聖書や教行証文類などの聖典の言葉は重要である」

 

しかし「その文言をどういう意味内容に定義して解釈すること」に違いが起こるから、「次元が変わる」のである。

 

アダムとエバは、聖書に出てくるひとの名前だと、俯瞰解釈すると、物語になる。

阿弥陀ストーリーも俯瞰すると、ただの物語になる。

 

「光」という言葉で「物理的に捉えるひと、太陽光をイメージするひと、ライトをイメージするひと」などなど。。

 

「光」という言葉から「智慧や神をイメージするひと」は、一般社会では皆無かもしれない。

 

いろんな人生や出来事があって、「光」という言葉の意味内容すら統一していないという事実を「無視して」いるから、

「じつはみんな別次元を生きている」ことを理解していない。

 

「宗教を持たない日本人は特にそうなっていること」を理解していない。

 

「宗教、政治、野球」の話は「してはいけない」と接待で学ぶような国民は、言葉を「自己定義語」で語るから、

「理解しあえないけど、妥協する、議論はしない」という、

 

狭くて、浅い関係しか作れない。

このFBという媒体で、何人から「いいね」をもらったか?

ということを「自己実現」にしているひとは「その次元のひと」の群れを生きるしかないのかも知れないけど、

 

もっと「現実世界には人智を尽くしても考えられないスゴイ世界があること」を「仏教やキリスト教」は教えている❣️