インフォメーション(日々更新中)
2019-08-24 09:37:00
要門と真門‼️
化身土文類に出てくる「観経」を「要門」といい、
「阿弥陀経」を「真門」という。
これを、そういうもんだ!
と「鵜呑みにしてきた」のが、真宗学ですが、
本文の流れを通して読めば、
五念門の「礼拝、讃嘆、作願、観察、回向発願」と、
↓ ↓
五果門の「近門、大会衆門、宅門、屋門、薗林遊戯地門」
と対象としていることがよくわかります。
だから、如来の「讃嘆から大会」が集まり「利他」(薗林遊戯地門)の菩薩道として、歩むものになるのが仏教です❣️
「讃嘆」のなかで「《諸行を行じていてもいい》ですよ」というところから導き、「念仏」という「カナメ」に「大会」させるための法門が「要門」なんです。
という学習をすれば、なぜ「要門」というのかがわかります。
また、二十願について、なぜ「真門」なのかということについても、真実のサンスクリット語である「サイティア」は、
「実をむすぶ(果実という結果が出る)」という意味があるけれど、自力念仏では、結果「実を結ばない」から「真実の実を抜いて「真門」とされているというスジ(論)がわかれば、鵜呑みにせずとも理解ができます❣️
概して「こういう教えは、こういうもんだ」という権威的な教え方が多いので、学習の仕方という意味においても、疑問を持つ姿勢が、けっこう本質を知る上で重要であるということをお伝えしておきます‼️