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2019-09-05 02:53:00
だれもが「真宗を受け入れるわけじゃない」けど「如来は受け入れる」❣️
https://r.goope.jp/sainenji/free/kesin
今日の「講義その5」は是非読んでいただきたいのです❣️
最近の学問でも「いくら言ってもダメ」なケースが多いのは、「DNAと環境因子」によって、「皆が違う次元を生きているから」ということがいわれるように、親鸞は「化身土文類」で「そこを救う法」について書いているのです。
量子力学でも「不確定性原理」といわれるように「すべてが不確定」であり、
「わたしが人間である」ということを証明することすら「生きている」と証明することすら出来ないのです。
ここにいる「ここはどこ」ということも「なにもかもが不確定」だという「無常無我から導き出される真実」という次元からいえば「キリスト教」のひとが如来だといえない理由はない。(化身であれ)
あなたが「報土にいるとも化土にいる」ともいえない。
すべてが「確定定義できない」というのが真実真理なのです。
だから「現生で往相還相因果同時」と仮定すれば良い。
「現実的に利他」れる教えを生きていると「仮定定義できる」ならその方が良い。
「死んだら浄土に行けるねん」と思う以上に次元を変えられないなら、「そういう次元もあり」というのは仕方がない現象。
「お守りが守ってくれるねん」という「次元にいるひとを変化させる」ことは難しい。
それが「あなたの生きている次元と違っていても当然であるという現象認識ができれば」それでもいい。
そういう現象認識は認めたくないなら「そういうひとの次元を変える努力」をしてみれば良い。
とはいえ「より良く《いのち》と仮定定義される存在らしきものを、成仏に向ける方がいいと定義する」なら「死んだらではなく《いま》法蔵菩薩とさとりに向かって生きている」という次元で「仮定定義する」ほうがより良い。
こういう無自性なる「無色無形絶言」の次元を「凡夫の観点から無自性の仏の観点へ変化させる」ことが「さとり」だと「仮定定義」する。。
親鸞は「こういう真実真理」を仏教の大原則から論じています。
以下参照ください‼️