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2019-09-11 21:14:00

見た目で判断できないなと思ったことは?への回答❗️

「見た目で判断する」という文言において「見た目でなにをどのように判断する」かという定義ができません。

つまり「いろいろな現象や人間における行動など」は、多くの次元を「含んでいるので」どこをどう判断するかが明確になりません。

また単純に「いい人か?」ということでも、「ひとりの人にはさまざまな側面があり、かつ、《いい人》の定義もできない」のです。

「なににとってどのようにあること」がいい人なのか、ということは「確定定義できません」から、「見た目でなにかを判断すること」自体が不確定なのです。

わたしは、「善悪の判断」をいちいちしないで、自然の流れの中で「観ている次元」が上がるように生きています。

以下ご参考にしてください。

次元というのは、基本的には「線」を「1次元」、「面」を「2次元」、「立体」を「3次元」というようにいいます。

しかしこれを深く広くいうと、

たとえば「目の前に《りんご》がある」とします。

これを「りんごがある」と認識する次元があります。

そしてこの「りんごはどこの産地か?」という次元もあります。

さらに「どういうひとがどのように作ったか」という次元もあります。

また「このりんごは誰がどのようにここへ移動させた(持ってきた)か」という次元もあります。

そして「このりんごの成分は?」という次元もあります。

広げてみると「このりんごの産地はどのような環境か?」という見方もあります。

「このりんごは、誰が開発したか」という見方もあります。

「このりんごは輸出入しているのか」という見方もあります。

「このりんごを美味しいというのは、甘味か食感か?」という見方もあります。

「このりんごを美味しいという人は世界人口の何%か」という見方もあります。

このように「りんご一個」を見てもさまざまば要素や背景があり、「どこまで掘り下げたり、高い視野で見るか、広げて見られるか」ということで、見える世界が変わるということです。

単純そうなことにも、多くのファクター(要素)が、計り知れないぐらいあるということなのです。

仏教に「十如是(じゅうにょぜ)」という次元の見方が説かれているので、wikiって見てくださいませ!