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2019-09-11 21:19:00

浄土の次元❣️

浄土が「西方」なのは、「スペース(空間)」のことではなく、「次元をあらわしている」と論じる方が適切だと言えるでしょう。

当時は「東方」はオリエンタルな「俗世」をあらわして、

「西方」は「出世のさとり」を意味していたという論文を読んだことがあります。

 

このことと「太陽が沈む、大自然でしか感じ得ないこと」が一体になって、「西方定義」があるとしたら、

 

これは、もはや「スペース」ではなく「次元」を意味している、深くかつ高度な思考による世界観です。

 

そういう意味で、往生が現生か来世かという議論は「戯論」であり、人間が「高度で深い思考のさとりを観じる」には、「場」の問題ではなく、「次元」の問題が「場」のあり方や「観えかた」を変えるのである。

 

と「現実的に変化が起こること」を親鸞は論じているといえます。

事実、「如来を行じていく中で、いろんなことにおいて次元の変化が起こっている」ことを、日常の中で観じるようになります。