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2019-09-22 06:28:00

宗教は思い込みですか?

先の方が適切なご回答をされていると思いますので(偉そうに聞こえたらごめんなさい🙏)

わたしは別の角度から記述します。

そもそも「宗教」というカテゴリーを「別世界」と思っている方が多いのですが、「思想信条」という用語にあてはめると、

なんらかの「信念」でも「世間の常識」でも「思想信条」に当てはまると思います。

この観点で見ると、「資本主義」に踊っていて、この「水準を維持したい」という事情、信念のなかで、

「お金や数字に追いまくられる」というあり方こそ「思いこみ」だといえます。

「社会のルール」「モラル」など、現在の日本では「敏感」すぎるように思います。

「木登り」などを自由にやっていた時代のように、たとえ「子どもであっても」どの枝に足をかければ折れるかどうかという「判断能力」があると考えられれば、

「安心安全な」遊びのなかだけで生かさなくてもいい、と「子ども」に知恵を体得させることができるでしょう。

「安心安全」だけの環境にいると「危険」を意識できなくなる「危機管理」を「人任せで生きられる」という「錯覚」を生きることになります。

これは一例ですが、「このように社会常識という錯覚」こそ「思いこみ」と言えるでしょう。

逆に「信仰」を持つことで、誤った「価値観」を生きなくても「問題ない」という「目覚め」を生きられる事実があります。

こういったことは「宗教」であるかどうかという「カテゴリー」に関係なく、「どのステージ」を生きていても、

より「1」に近づく「0.99999。。。」の正確性を「人間種」として「追求体得できるか」という次元にあれば、

「誤った思いこみ」から「脱出」できて、より広い観点や真の意味での「知恵による受容や理解」よく言われる「寛容性」を身につけることができるでしょう。

それは必ずしも「宗教」というカテゴリーでなければできない性質のことではありません。

「思いこみ」はどこにでもある。

ということに「気づく」ことは、「人間としてのサイズ」が大きくなることといえます。