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2019-10-19 22:41:00

この人、「人間失格」だなっと思った人はいますか?

「人間」を「倫理的なひと」という定義で論じるわけにもいかず。。

仏教によれば「思慮分別するをもって人となす」(倶舎論頌)とありますが、ここから「人間失格」を論じるというのも難しいのです。

なぜなら、「思慮分別の結果」向上志向のひとになるケースもあれば、「真逆のひともいる」からです。

あえて、「六道輪廻説」からいえば、「地獄、餓鬼、畜生、修羅道」(苦縛、むさぼり、愚かさ、怒り)のものは「人間失格」といえます。

これは「死後に定義されるもの」ではありません。

これは、「いまの状態」をいい、そちらへ「未来が趣く(おもむく)」という「道を歩んでいる」から、「人」を含めて「五悪趣」ともいいます。

「天」を含めたら「いまいる道」である《六道》になります。

それが、未来的にも抜けられない「六趣(ろくしゅ)」になるか、どうかの「ニュートラルな位置」を「人」としています。

「人間失格」かどうかをこういう仏教基準で見るのも「ひとつの観点」なのかもしれません。。