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2019-11-22 02:08:00

下品下生が真実で、ほかの観法はできない方がいい‼️

観経で「第七華座観」「第九真身観」などのさまざまな行は無理だから、「下品下生」の「南无阿弥陀仏」に結論をもってきた。。

という教えの流れから見ると、「仏教の無我、非我」に直結する!

 

それは、「自我滅する」ために「南无阿弥陀仏」になる(自己の全てを任す)ことは、「第七華座観」「第九真身観」の観察よりも「本来的」である。

 

つまり「じつは下品下生の南无阿弥陀仏」こそ、仏教の無我、非我 につながるのであり、「真実」といえる。。

 

だから「それまでの観法」こそ「方便」であり、「できない方がいい方法」だといえる。。

 

じつは「下品下生」に説かれていることこそが、「最上の方法」であり、そこにこそ「十方のすべての衆生済度」にも通じる「普遍性(カトリシズム)」があるといえるのであろう‼️

 

これは「神に全てを任す」ということが「同じ結論になり」、、

じつは「キリスト教」も、「永遠のパラダイスを目的」にするのではなく、

「神に任すこと」を「真の目的としている」と定義すると成立する!