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2019-12-09 01:59:00

三法印と真宗

真仏土文類の「涅槃の徳」は、現実とは別にある世界を言っているのではない。

「現世は無常だけど」「浄土は常住」という二局分ではなく、

 

「現世は無常だと屈服礼拝」すれば、「無常という常住に在ることができる」ということを意味している。

 

これは「教行証文類」から導き出される「三法印」であり、

「真宗」は仏教だと定義する「重要なポイント」である。

 

さとりとは「無常、無我(非我 )、寂静」を指し、「特別な世界が常住的にある」とするなら、「仏教ではない」‼️

 

この点で「いくつかの仏教の宗派」は、全く「仏教とは言いがたい」ものである。

「平安仏教も鎌倉仏教も」そういう宗派がある。。

 

そういう宗派は「幸せ」という幻想を説き、「自らが《釈迦の再来、即身仏》など」と言っている。。

 

また、「厚かましい利他」を「行動力」という。。

「阿弥陀如来や浄土」も「固定した実体」だととらえては、

「三法印」ではなくなる。

 

ブッダがいったから「正しい」のではなく「正しい智慧」をブッダは発見して、その「さとり」を生きることが「最も安穏」であるといっているのである❗️

ここにあるのは「真の正しさ」は、「固定できない流動的な状態」を指している。

 

自然の流れに「乗託する」「願船に乗る」というのは、そういうことである‼️

 

「正しい智慧と慈悲」は「時機相応」であり、「願いと悟りが同時的に日常の中にあり得る」と観えるようになることである‼️