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2019-12-14 21:35:00

あなたの周囲の「功徳荘厳」❣️

「荘厳」とは、「整然とすること」である。

 

わたしたちも「日常的に《片付け》る」けれど、「なに基準」なのか?

「便利」「とにかくキレイにしたい」「しつけ」「お客さんが来るから」などいろいろな「お片付け基準」があるだろう。

 

工業系の会社では「整理、整頓、清掃、清潔、しつけ」と言った「5S」という基準を設けることが多いようであるが、これはもとは「あるコンサルティング会社の商品」でもある。

 

こういうことをして「生産効率をあげる」などの意味があるようであるが、「実態はよくわからない」けれど、ひとつの基準である。

 

仏教の「荘厳」(しょうごん)は、「功徳」を観ることといえる。

 

ほぼ「直線のない自然のなか」に、「雑然としているように見える、自然の持つ意味や理由を尋ねる」ことである。

 

これは「仏の智慧によって、仏性を観る」ということである。

 

いま「あなたが社会的に与えられている立場や仕事」にも、「自然の意味や理由」があるのだろう。

「そんなものはない」と言う前に「そのように観ていくクセをつけてみよう❗️」

 

「無常、無我(非我 )、空」のなかに「五蘊仮和合我」として在るあなたが「無機質に無意味な存在だ」というのも事実かもしれないけれど、、

 

「無常無我(非我 )空」のなかに「有機的意味があるのも事実」である。

だから「色即是空、空即是色」の両面があり、「華厳経」の「一即一切」ということでもある。

 

必ず「あなたと全体はつながっていて、重要な意味がある」けれど「見出せていない」or「見出そうとしていない」ということである。

 

場や状況においても「地獄からも得るものはある」といえるし、そうなればそこは「浄土の功徳荘厳界」であるといえる。

 

「自然のなか」で、「いまあなたの周囲にある雑然のなか」に、「深い意味や理由を見出せたら功徳荘厳を観る」ことになるのである。

そして「雑然」のまま「整然となる」のである。

 

あなたの周囲の「カオス(混沌)」が、整然とした意味を持つのである。

 

「いま起こっていることから功徳荘厳を見出し」て、「智慧を得て、慈悲を行じる」ということである‼️

 

「あなた」にもきっと「あの時は意味不明だったけれど、学ばせてもらったなぁ」「あの時は苦しかったけれど、あれがあったからやってこれた」ということなどなどあるはずである。

 

そういうことを「クセにしていくことが、功徳荘厳を観る」ことになり、「次元に変化が起きる」といえるのである。

このように生きると「雑然や喧騒」が「整然とした寂静になる」のである❣️