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2019-12-23 01:01:00

死者は在るかの論(加筆してさらに詳しくしました❗️)

【死者ふたたび】(加筆してさらに詳しく書いてみました)

 

いのちは結局肉体という塊ではない!

こないだ書いた記事を載せますね。。

↓↓

「死者がどうあるか」という、、

カナメは「宇宙全体が有機的につながっていて、死者も《物理学的》にいえば量子(原子より小さい)に分解されたとしても、別のカタチで存在する」という意味で、「氷が水になって、蒸気になる」(状態変化)のようなものだということです。

 

【あなたの周囲のものすべてに含まれるといえます❗️】

 

ただこれは「肉体」についての話で、「想いや意思のエネルギー」は「普遍のエネルギーとして残る」ので「遺族」などの気持ちを動かします。

 

「量子レベルのエネルギーが脳に影響を及ぼす」

「電磁波のなかにも死者のエネルギーがある」

 

この「死者の想いや意思のエネルギー」が、

生きてるひとの側から言えば、

「そのエネルギーの想い(ベクトル)を受けてだれがどのように動いているか」。。

 

死者の側でいえば、

「想いをだれに与えていて、だれをどのように動かしているか」という点は「不確定」(未確認ではあるけれど在る)のです。

 

とはいえ生前のことのみならず「わたしとのこのやりとり」さえも「死者のエネルギーによる」といえます。

 

〇〇さんが「死者の意思に基づいて何かを行なうこと」は、間違いなくすべて「死者の想いや意思のエネルギーのチカラ」によるものです。

 

むかしは「遺志を受け継ぐ」という言い方が良くされましたが、

「死んだら終わり」という時代には「こういう文言は使われなくなって」います。

 

また、例えば「衣服」だろうと「地球のだれが、衣服のどの部分を作って、だれがどのように店頭まで運び」店員さんのなんという人から買ったか?

 

ということはわからないけれど「衣服はある!」ように「見えないというより見えていない」ところに「死者の影響がないとはいえない」

 

むしろ「宇宙で起こること全てに在る」のです。

 

また、「量子力学(物理学)」でも、「量子の動きをコントロールできたら、量子は一瞬で宇宙の果てから、どこまででも行く」ので、

 

「量子」をコントロールできる「量子コンピュータ」が作れたら、「人間を量子レベルに分解して、宇宙のどこにでも飛ばして《再結合》させれば、

 

「宇宙的移動は簡単になる」(テレポーションのように)と言われて、《いま現在死者はこの状態》だといえます。

「量子コンピュータ」があれば《再結合》するプログラムを作れます。

 

「そもそも地球の人間」は「地球より発達した惑星」の「量子コンピュータ」に送り込まれた「宇宙人が起源」である。

(むかしのタコさんのような宇宙人とは概念が違います。またUFOのような乗り物は要りません)

 

この説は「欧米ではまともに言われて」いますし「量子コンピュータ」の研究は「ほぼ完成まで至っている」ようです。

 

欧米では、ダーウィンなんていうのは「お伽話」程度にしか扱われていません。(キリスト教の影響から科学まで評価は同じです)

(進化論は、科学的なようで、ほぼ創作ストーリーです。)

(例えば、キリンは木の上の葉っぱや果実を食べようとして首が伸びたって、キリンに聞いたんか?というほど「推測の積み重ね」ですから)

 

「量子物理学」はかなり支持されていて、「仏教と同じ原則」です。

無常は「状態変化」、無我は「不確定性原理」ですから。。

 

すべてが「無我(不確定性原理)に基づくものである」から、

【死者のエネルギー】が「どのような素粒子(=量子)」になって、

 

「どこに在ってどういう影響を与えているか」は「宇宙レベルで不確定」ですが「必ずあって、必ずいる」と言えるのです。

 

「量子」と名づくか、「亡くなった△△さん」と名づくかという「認識と文言の問題」でしかありません❗️

 

つまり「見えない幽霊」のようなものではなく、、

 

【ミクロすぎて見えていない状態であなたの周囲を充すほど存在する】といえます。 

 

宇宙のなにもないように見えるところにさえ《ダークマターがある》と言われていて、見えないだけで《空間もギッシリなにかが詰まっている》と言われています。

 

そもそも【わたしたちも、頭脳も《量子》】であり、《量子》の動きです。

そして、存在の「場」も同じですから、

 

【サイズが違うだけで、量子レベルの動き(エネルギー)とベクトルはある】んです。

 

止まっていても「位置のエネルギー」さえもあります。

 

このように「実体は空」であっても「法(量子的なものや心の動き)は有」という「倶舎論」の「我空法有」に依っても、「量子さえもつかみどころがない=空」(空亦復空)だといえども、

 

「宇宙がある以上」「認識する主体」がある以上、

《死者の生前であるか、死後に死者を知ったか》に関わらず【死者を知るひとがある以上】は「仮有」であっても「有」なのです。

 

【ほぼこれを読んでいる人にとって「釈迦」は「有」です】

 

また《人間という状態の仮結合体》も「状態は同じ、原子や量子に基づく、エネルギーとチカラとベクトル」です。

 

だから「空(実体はない)」を説いた「龍樹」のあとに、

「天親(世親)」が「実体はないけれど、ただ認識のみで在る」を説いて、、

「すべては認識による[有]が仮に成立している」と説いたのです。

 

そして「原子、量子」に満たされたなかに「わたしたち」は在ります。

 

「この数十兆の細胞からなる人間やあらゆる[有]の【仮結合体】」は、戻せば「原子、量子」ですから、、

 

【水中の氷】のような在り方で[有る]のです。(水がギッシリ詰まっていて、溶ければ水になる氷のようにある)

 

これが「一が一切」と「即」でつながる「法界縁起」(一即一切)といえます。

 

このようなことが「華厳経」に書かれています!

 

「量子物理学」には、さらに「多元宇宙(パラレルワールド)」なんかもあって、興味深いうえ「仏教と符号する点が多くあり」ます❗️

 

この辺は「さらに難しい」かもしれませんが、「この宇宙」では「死者は死んだ」としても、「多元宇宙」では「生きている」といえます。

 

まぁ「この宇宙」においても、すべてが「一切の有情は。。世々生々の

父母兄弟であった可能性は否定できない」という「歎異抄」第五条のように、

 

「輪廻転生」以前に「量子物理学」「華厳経」が「いまと永遠」の時間軸と「ここと全宇宙」の空間をどう見るかという「次元論」をあきらかにしています。

 

(或る方との対談)