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2019-12-31 04:26:00

中神さんと呼んでる人に「中神さん」ってだれ?と思うへんなおじさん❗️

苦には、、

「苦痛」(痛み)、

 

「苦労」(物事がうまくいくように、精神的・肉体的に励むこと。逆境にあって、つらいめにあいながら努力する)

 

「苦難」(むずかしいこと。めんどうなこと。困難。 「 -をかける」容易ならぬこと。一大事)

 

「苦悩」(精神的にもあれこれと悩む)

 

これら4パターンのなかで、「苦悩」がもっともやっかいだと思う。

 

仏教は「除苦悩法」だけど、「抜苦与楽」ともいい、この「苦」を定義するとき、「苦痛、苦労、苦難」はなんとか乗り越えられそうだけど、、

 

「悩み」っていうのは、「深くて単純ではない気がする」から、ここを解決するのが「仏教」なんだろう。。

 

「四苦八苦」も先の3苦を伴うことがあるけれど、それらは「心のあり方」で乗り越えられるから「若い頃は苦労した」というように、、

「通り過ぎたら、なんとかなっているもの」である。

 

「苦悩はどうだろうか❗️」

あまりに「ひとごとに違っていたり、思考も絡まり合っていて」けっこう大変だと思う。。

 

その「苦悩の解決」は「脳内のゴミを捨てて、自我を捨てられるシステム」があれば「苦を功徳だ」と思えるようになる。

 

そうなれば「苦はない」または「浄土への道を歩むことに専念できる」だろう❗️

それが「名字の転換」であると思っていて実感している。

 

最近「認知症」かというぐらい「自分の名前や立場を忘れる時があるんです」。。

Nakagami さんと言われても「ピンとこない」、、

 

わたしという生命は「法蔵菩薩」だと思って行じているからかもしれないけど、、

こんなことを書くと「またへんなひと」だと言われそうですねぇ〜‼️

 

それでいいんです😆