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2020-01-07 02:15:00
倶舎学という「総合テキスト」❗️
昨日の「時間論」は、「倶舎学」(くしゃがく)によるものですが、
仏教学において「唯識3年、倶舎8年」といわれています。
これは、それだけ難しいというよりも、「倶舎学」がカバーしている内容が、今でいうなら「大学のほとんどの学部」といっていいほど広く深いということだと思います。
もともと、その時代ですから、「地球」という概念はなく、「須弥山説」という概念で、宇宙などを論じています。
たとえば、日本で「本州、四州、九州」などというのは「須弥山説」で人間の住むエリアを「贍部洲(せんぶしゅう)」と書かれていることからの影響ではないかと思います。
「倶舎学」には、古代インドや仏教の「天文学、生物学、人間学、心理学、物理学、化学」といった学門の総合テキストのような内容が論じられていますが、現代の学問に照らしても遜色はない内容です。
そういう意味でも、「奈良仏教」において、本来は「倶舎[宗]」ではなく「倶舎[衆]」だったり「法相衆」や「華厳衆」だったりという「学問仏教」だったのです。(南都六宗といいます)
このように「日本の仏教」が「平安時代」に「最澄、空海」の「平安仏教」が主流になるまでは、「奈良仏教は大学」のような状況だったのです。
「平安仏教」でも、「最澄」は「国宝人材である」といい、「良き人材育成の場」として「比叡山」を運営していましたが、、
「空海」の「密教」に影響されて、「その存在意義」を変えてしまい、、
「公家や民衆のニーズにそのまま応える場」に変化させていきました。。
これが「あまりにも[煩悩増長ニーズ]だったため」といっていいのか、、
平安仏教は「間違っているのではないか?」という人たちによって、
「鎌倉仏教」が生まれたのです。
その先駆けが「法然」「親鸞」「道元」「日蓮」といった祖師方なのです。
日本の仏教は「もともと学問仏教」つまり「教育の場」という性質が強かったのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/須弥山#/media/ファイル:Shumisen.jpg