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2020-01-24 03:06:00
愛別離[悲]‼️
愛別離苦は、愛別離悲といえる。
苦というよりも情的であろう。
人間でなくとも「哺乳類」は「泣く」という。。
「苦」は「知性」によって解決できることも多い。
「悲」は「情的」であるから「インパクト強く残り引きづる」といえるだろう。
案ずるに、人間種の「苦」に「知性により解決可能な苦」と「情的な苦」そして「知と情が絡んだ《悲》」があるといえよう。
この「悲」をサンスクリット語では「カルナー(うめき)」という。
そしてこの呻き(うめき)を埋めるのは「慈」(マイトリー=親友)とされている。
「親友」には「パワーバランス」がない。
また「見返りを求めること」もない。
《無条件の摂取不捨である》
《そこには「和合」のみある》
「和合」は「わかりあい、受け止め合う」まさに「無色無形絶言」の関係である。(色も形もなくことばも絶えてあらわすこともできない関係性)
「愛別離悲」いわんや「生老病死の悲」を埋める「慈悲」をもって関わることができる「和合関係を広めるもの」になることこそ、「大乗菩薩道の行者」である。
ここにおいて「怨憎会、求不得、五蘊盛の苦」については、内容によって「悲」とはいいがたいものもあると思えるけれど。。
「心の奥には《悲》がある」といえるだろう‼️