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2020-01-25 01:42:00
誤解と理解‼️
人間関係のトラブルは、「誤解」によるものが(極論で言うと)90%であると言う説がある。
人間関係において重要なことは「理解と誤解」を正確に知ろうとすることである。
《理解は共感である》
「共感」は「同情」とは違う。
「同情」は「相手の思いに乗っかること」であり、
「わたしもそうなんよ」というやりとりである。
《理解は相手の思いを知り解るのみ》であり、
自分の思いとは異なるということが[大前提]である。
相手の気持ちの背景や状況から「どういう気持ち」になっているかを「解る(理性的解析をする)」ことである。
「誤解」は「誤った解析」であり、あえて説明は不要であろう。
この「誤解」が、昨今の「メールやSNSのやりとり」では起こりやすい。
「文字」しかも手書きでもない「フォント」で表現され、
「スタンプ」や「顔文字」「(笑)」と書かれていても、それ以上のニュアンスを解析して理解することは難しい。
「事務的なやりとり」や「詳しいこと」は「お会いして。。」が前提ならばまだしも、「気持ちまでを理解せよ」というのは至難である。
「直接会って話しても理解は難しい」ものである。
とくに日本人は「共感(理解)」をするクセがない。
自分の思いをわからせようとする《指導的関わり》か、
相手の思いに「巻き込まれる」「乗っかる」いわゆる《同情的関わり》という2パターンがほとんどな「国民性」である。
「わかってほしい」は「同じ思いだと言ってほしい」のか「理解(理性的解析)を求めている」のか?
「わかってあげる」もいずれを言っているのか?
「理解」を意味していれば、適切に「人間関係」は構築できる。
《和合》のために必要なのは「誤解をしているかされているか」「理解をしているかされているか」ということを互いに意識して関わっていくことであろうといえるだろう‼️