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2020-02-04 02:39:00
生きて欲しい‼️
人間は他の動物とは違う。
知性理性と感性感情を下の角にした△の頂点に論があります。
これが二等辺三角形でも、正三角形でもいいのですが、
三角定規のような📐形ではアンバランスになります。
知性理性の角と感性感情の角によって「智慧と慈悲」が生まれます。
そこには「論」をもった関係性が生まれます。
キリスト教より仏教が論理的なのは、このバランスを取るためでしょう。
キリスト教はよほど「情的」であり、論のない教条性が強いのです。
だから「阿弥陀如来」のようになる。
と言えても、「阿弥陀如来は居る」とは言えません。
あなたが「この論(三角形の頂点)に住した時」、
愛する人は「生きる力を持ちます」が、同情した時に、
生きる力を失うでしょう。
重病のひとを理解をしてあげることができるから「キミは死ぬ」といえる。
「死ぬのが怖いのは息子が心配なんだろ!」ということもいえる。
《ここが知性です》
そこで「だから生きろ」といえば、《情になる》から「生きなければ」と思うようになって「自己治癒力」が出る。
ステージ4でも同じである。
だれかが病床の愛する人に「お前は死ぬ」と言っていた時に、
意外にも太り始めて「元気になっていた」ということがある。
その後どういうやりとりがあっても、、
この論に「ブレ」を出してはならない。
あなたが「愛するひと」「お子さんのこと」などを抱えて、
やがて「孤独になる」と思うようなことになるかもしれない。
しかし、どんなに「愛するひとから悪態をつかれても」愛する以上「ブレてはいけない」のである。
そこには、「生きなければいけない」という「論」がある。
わたしも化身土文類を読んでいく中で成長して、
「生きることに意味がある」と思っている。
たとえ人間が素粒子の塊でも「人間に論がある理由は、論を生かすことに使うためだ」
とわかったからである。
こういう文章を硬く書いていても
感情いっぱいにいまこれを書いている。
やってはいけないのは「ブレること」だから「心を仏地に樹てる」のである。。
振り切って前進せよ‼️