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2020-02-18 17:42:00

真宗は難しくない❣️

真宗は難しくないのです。

 

誤解を恐れず単純化すると、「阿弥陀如来」を完全に受け入れれば、私の煩悩が見えるので、見えたら見えただけ、その反対方向へのベクトルに進めばいい。

 

だから煩悩があってこそさとりの方向がわかる。

 

それが「如来の願いを私の願いとする」ということ。

願いは方向と着地点ですから。

 

そして「如来の行ずることを行ずる」

行は、方向への行動と推進力ですから。

具体的には五念門行

礼拝(如来を受け入れ自分の煩悩に慚愧する)

讃嘆(如来の教えに生きる素晴らしさを伝える又は称名する)

作願(さとりへの願いを決定する)

観察(さとりを見るかのように現実の捉え方を変える)

回向発願(そしてそのように方向転換して進む)

なかでも、讃嘆が「利他」を促すので、中心となります。

 

そういう生活をすることを具体的には、自分の実践に基づいて伝える(讃嘆する)

布教というのはそういうことです。

 

石泉学派的にはですが。。。

 

十二縁起から。。

無明は「名字によって色(存在)」を定義する。

だから「名字を如来名字に変換して、色は空にして実相無相」の「智慧」を得る。

智慧即ち「仏慧」を与えんに「釈迦世にあらわれて《恵》に真実の利をもってせん。。」

これを以て「仏恵」とせん!

仏慧を恵に「名字」即ち「名号」となれり。