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2020-04-03 03:06:00

阿弥陀如来の霊性‼️

真宗僧侶のみなさま、阿弥陀如来の教えも充分に「神秘的意味合いで使われているスピリチュアル」であるということを自覚する方が良いでしょう。

 

本来「精神的な世界」を「スピリチュアル」といいますが、

日本では「迷信的な霊的な神秘的なこと」について「スピリチュアル」を使うことが多いようです。

 

幽霊は迷信俗信であるとはいえ「確認できないことを言っている」という以上、同じ次元にいるのです。

ゴーストによる霊的なことも同じです。

 

しかも「無常無我」であるけれど、「浄土は常住」であるという理解を「永遠のさとりという名の理想郷」とするなら、

釈迦の教えではないスピリチュアルであるといっても間違ってはいません。

 

親鸞の記述は「無常を常住とするあり方」が「浄土である」と言っている

とわたしは読んでいますが、大概の「また浄土で会える」といった内容はスピリチュアルであるといえます。

 

いずれにせよ「一般のひと」から見たら、阿弥陀如来も「霊的なこと」の範疇にあるのです。

 

しかし、この霊的なことを、日本の仏教や哲学、宗教学で「霊性」と言われるときには「真宗僧侶も違和感をもたない」のに、

「スピリチュアル」といったときには違和感を持つということには矛盾を感じます。

 

真宗僧侶もスピリチュアルに徹することで、さらに「自己の霊性は深まり」阿弥陀如来の教えが生きてくることでしょう。

 

「スピリチュアル」は「霊性であり、精神世界である」という明確な定義をもって、真宗僧侶もみなさまも阿弥陀如来を生きる方が、自らの霊性も深まり、より共感を得ることができることでしょう。