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2020-06-04 04:49:00

正信偈に‼️

正信偈(しょうしんげ)という「お経」のようなお勤めがある。

 

これは、親鸞というひとが作ったのであるが、、

真宗系では「日常から」お勤めとして読む(読誦)する。。

 

この中に「インドの高僧」として「天親菩薩」というひとが出てくるけれど、この名前が2度も出てくる。。

 

また、この人を含め「インド、中国、日本の7人の高僧」が出てくるけれど、「菩薩」という「仏道の行者」をあらわす「称号」が付けられているのは、この人だけである。。

 

こういったことから、、

親鸞にとって、よほど重要な高僧であると言える。

 

けれど、現在「真宗」では、この正信偈に出てくる「善導」という中国の高僧を重視する。

 

これはこの善導を「親鸞の師」である「法然(源空)」というひとが重視したことや、真宗を広めた「本願寺の蓮如」というひとの影響であろう。。

 

けれど「仏法僧」(ぶっぽうそう)という三要素を重視する仏教において、、

真宗では「阿弥陀如来」を「法」と表現されることが多いけれど、、

 

阿弥陀如来を「善導」という僧の表現による「人格」のストーリーで捉えるならば、、

「仏」の要素になる。。

 

あくまでも「仏教」は、お釈迦さまがいうように、、

「法をよりどころとする」ならば、、

阿弥陀如来を「天親菩薩」が書いている「法(ダンマधर्म Dharma)」の要素で解釈すべきであると、「親鸞」は言っているように思う!

 

師匠から伝えられた内容を超えていようが、、

それが親鸞という人の書いた書簡などからも読み取れる。。

 

あくまでも「法(धर्म Dharma)」は、如来であり真如であり、、

「自然法爾」(じねんほうに)であるということであり、、

 

根本仏教でいう「無常無我」「対機説法」である‼️