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2020-06-07 23:29:00
1が生まれたら2になる‼️
「1(イチ)」が生まれた時に、「2」になる‼️
つまり、「ゼロと1」という2になる。。
「二進法」である。
現在のコンピュータの原理である!
「ONとOFF」の二である。
そういう意味で「存在が生まれた時には2になる」から「真如」という「自然」から「有」ができた時に「阿弥陀とわたし」の2になる。
「自然」が存在になった時に、、
「+と-」「陰と陽」「N極とS極」「男女」などの二を生む!
「真如という空状態(仮に無)」(仮に)というのは「存在の根源が完全無」といえるかどうかは「不確定性原理」だからである。
だから「阿弥陀とわたし」は「空と存在」の問題なのである。
なぜ「人間が苦しむか?」というポイントでいうと、、
「人間の脳細胞が単純構成」されている状態のまま、、
いわば「知識だけのデータの山のまま」だと、、
「脳が混乱するだけ」でしかない!
そのデータ処理を「智慧」という次元にまでもっていかないと「整理された的確な判断」に至らないからだといえる。。
そういう意味で「存在を分析して」その由来はゼロだといえるところから考えることが「空観」(空を見る)や「物理学」などの学びであるといえる。。
むかしそういう学問がなかった時代には「阿弥陀如来」という説明原理(善巧方便)を「素直に受け入れること」で「妙好人」のように「自己を空化(無我化)」する智慧を得ることが出来た!
現代においても「阿弥陀如来」という「ストーリーがいい人」と、、
「物理学、根本仏教などの論がいい」という人は混在する❗️
「陰陽ストーリー」で言っても、、
「無極から陰陽の二が生じ、混沌を経て、太極になる」
といった「流れに〈混沌〉」がある。。
この「混沌(カオス)」が人間の無知無明をあらわしている。。
これが整理されて「悟りや太極」という智慧になる!
わたしたちは「ストーリーと論」という「二」のどちらがいいのか、、
資質にもよるけれど、「対機説法」という智慧が重要なことになるといえるだろう❣️