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2020-06-19 11:00:00

事実と真実はどちらが重要か?という問いに‼️

便宜上「事実、現実、真実」にわけてご説明をいたします。

「事実」は「現象やことがら」ですが、私たちはその「現象」に「意味や解釈」を無意識または意識的につけています。

たとえば、「誰かからプレゼントをもらった」という「現実」は、「AがらBにCが移動した」という「事実(現象、出来事」です。

これを、相手は「要らないものを、ただ処分のつもりであげた」と意味づけしているかも知れません。

ここの違いが、それぞれの「現実」ということです。

 

「仏がプリントされた絵像」があるとします。

「こんな紙にプリントされたもののなにがありがたいのか」という人もいれば、

「ありがたい仏さま」と思って礼拝する人もいます。

ここで「こんなプリントされた紙のなにがありがたいのか」という人も、

同じ状態の「紙幣」はありがたいというでしょう。

 

つまり「現象に対する意味づけ」がそれぞれ違うので、見ている「現実が違う」といえるのです。

「紙幣も仏教の絵像も〈信用〉」で成り立っています。

意味づけの背景には、そのひとのものの見方という課題があるのです。

 

そこでその「事実+意味づけ=現実』が、「ひとにとって有益な実を結ぶ意味づけ」ならばこれを「真実」といいます。

仏教でいう「真実」というサンスクリット語の原点では、「真実」の意味を「果実が実を結ぶ」という意味で使われており、

「果実を枯らせてしまう事実+意味づけは〈不実〉」といいます。

 

こういったことから、「事象である事実に、互いが実りある意味づけ」をすることを「真実」といい、

「事実と真実は異なる内容」なのです。

ここで「日本語では、お前が殺したというのが真実だ!」といった使い方をしたりしていますが、

「お前が殺したのは事実だ!」といえば、より正確だといえます。

 

ちなみに「不実」は、互いを傷つけ合う「意味づけ」なので、「実を結ばない〈不真実〉」ということです。

みなさんが「現象をより良い意味づけで真実の実を結ぶ」ようになれば良い社会になることでしょう!