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2020-07-06 02:52:00
若いひとに伝えて欲しい。。
世間は、「その時代や状態において作られるルールのなかでしか生きられないひと」を作る。
出世間の教えである「ほんとうの仏教」は、どんな縛りにも括られず、自然の世界に乗っかって生きることができる。
つまり「無常無我(非我 )空」や「唯識における認識論」が「生命の根源」であると徹底できる時に、「常識外れ」であっても「自由自在に真実に生き、怖れることがなくなる」のである。
阿弥陀如来という教えも「南无」の一念に「自我を捨てて、法(自然に生きることとその教え)に帰依」して、世俗的な悩みを超えることができるから、「南无」は「帰命なり」「発願回向なり」そして「その行なり」と言えるのである。
「万徳」をあらわす「阿弥陀仏」の文字は、わたしが「南无」したときに得られる「法蔵菩薩道」を意味している。
そういう意味で、「観経や阿弥陀経」以上に「無量寿経」を徹底して読むことで、わたしが世俗から解脱できる。
阿弥陀仏に帰依して無私になったわたしが「自然のなかで歩む菩薩道」を生きられるようになることで、あらゆる「妨げ(碍)」がなくなり、「法に帰依した自己」が柔軟な心で「智慧と慈悲」をカナメとして、堂々と世俗の価値を超えて生きられるようになる。
そういう意味では「常識を外れること」もあるだろうけれど、「煩悩が作った常識」に振り回されることはない‼️
「資本主義」に疑問も持たず、意図的に作られた世俗の「妄想」に振り回されたり、
数々の意図的な価値観に振り回されることがいかに「苦を生んでいるか」わかるだろう。。
少数派を排する「民主主義」にも疑問を持たねばならない。
そもそも「自由と平等」は両立しない概念であり、ある種の操作により「意図的な矛盾」を生んでいるのが民主主義なのである。
だからといって「共産」がいいとも思えない。。
つまり、お金の話しは「人生の意味」とは無関係なのである。
生きることを論じる「哲学や宗教」だけではなく、「物理学」であっても、人間が生きることについて深い示唆を示してしている。
また「西洋の神智学」などの根源と大きな差はない。
つまり「精神が自然を生きる」ようになると「シンクロニシティ」だとか「次元の変化」などが起こってくる‼️
(こういったことも物理学が示唆を与えている)
目の前のお金を求めると「かえって反比例する」のが自然である。
「大志」を見ることで「目の前」は埋まっていく。。
白い道は「彼岸を見ること」で進める道であり、白い道にお金は落ちてはいないけれど、
智慧と慈悲に充ちている。
将来の夢にしても「セレブになる」なんていうのは、日本のシステムでは無理であり、
そういう人は海外に行けば良い!
「大きなお金は手にできなくても」じつは「こんなに国民を大事にしている国はない」といえる。
日本にスラムがあるだろうか。。
ホームレスといえども「秩序と場」がある。
2000年と言われる日本の歴史においても「第二次世界大戦」までは、大きな戦争もなく、
平和な状況の方が、たぶんどの国よりも長い。。
仕組まれた「学生紛争」意外に「暴動」なんて「一揆」ぐらいしかない歴史をもった珍しい国民である。
戦国時代でさえ「一度きり」である。
小競り合いはあるにしても、規模は小さく「朝廷」が出てくれば収まる国民性である。
唯一のエンペラーが統治した国も珍しい。
中国などでも「何回」エンペラーが変わったか。。
日本はかつて「基本が平和な国」であり、それを支えてきたのが、つねに「仏教」をはじめ「宗教心」が背景にあったことを忘れるべきではない。
そして「これから先の若者にもそのことをわかって欲しい」と願う。。
大切なことを「めんどくさい」のひとことで、失うことがないように願っている‼️